同志社中学校
合格-2013年度
両立
「同志社中学校に合格するぞ。」と、強い思いを胸に抱いて勉強してきました。 私の姉は同志社中に通っています。合唱祭や学園祭やキャンプなど、他にもいろいろなイベントがあって、その話をずっと家で聞いていたので、行きたくて行きたくて、仕方がありませんでした。でも私は、ハンドボールで全国制覇することも、同志社中に行くことと同じくらい、ゆずることのできない目標でした。
だから私は、二つの夢を叶えるために全力をつくすと決めて、とにかく、がんばりました。全国大会で優勝はできなかったけれど、全国四位という、いい結果を残すことができました。私は、ハンドボールの練習を一日も休みませんでした。なぜなら、ハンドボールはチームプレーで、一回でも練習をぬけるとみんなに迷惑をかけてしまうからです。そのため、「春期講習会」や「夏期講習会」は、ほとんど出席することができませんでした。そのうえ、ハンドボールの練習が火・木曜日の放課後と土曜日まる一日あるため、勉強時間がほとんどありませんでした。だから私は、自分のペースでこつこつと勉強しました。
私の勉強の仕方は、わからない問題があったら、わかるまで先生に聞く、というやり方です。本当は、じっくり考えてから質問した方が頭に入りやすいと思うのですが、じっくりと考える時間がなかったので、すぐに質問をしました。中には、一回聞いただけではわからない問題や、二回聞いてもわからない問題があったけれど、先生は、何回聞いてもわかりやすく教えてくださいました。そのおかげで、公式を覚えるのではなく、問題や、一つひとつの式の意味を理解することができました。時間がたっても、また、少し問題の形が変わっても、へっちゃらになりました。さらに、あれこれとやることが増え、「あれもやらなあかん。これもやー。」というようなことで、頭がいっぱいになると、なにもかもが中途半端になってしまいますから、本当に自分に必要だと思うものだけでいいから、「絶対に完ぺきにするぞ。」という気持ちですると、勉強がはかどるのではないかと思います。このように、時間を無駄に使わず集中できたのは、ハンドボールと受験勉強の両立のおかげだと思っていますし、二つとも成功させることができた自分が、とても立派だと、我ながら思います。
受験直前も、それまでと変わらずにハンドボールの練習がありました。かぜをひいたり、けがをしたりしては、今までがんばってきたことを生かすことができなくなると思い、けがと体調管理だけは気をつけました。勉強については、今までやってきたことを信じ続けました。受験前日も、当日も、全く緊張しませんでした。今までにハンドボールの大会や、マラソン大会、駅伝の第一走者やアンカーなど、さまざまなことを経験してきたからです。そのおかげで、リラックスして受けられました。
一月十九日の入試本番、最初の国語で十五ヵ所ぐらいの空白を残したまま、終わりました。しかし、理科と算数には影響しませんでした。なぜなら、みんなにも、たくさん空白があるのだろうと思いこんでいたからです。一月二十一日の月曜日に、今までずっとほしかった合格通知が無事に届きました。合格していると知ったときは、「ほんまに!」と一瞬疑いましたが、本当に合格しているとわかったときは、とてもうれしかったです。今は、中学に入っている自分を想像して、うきうきしています。今までハンドボールや勉強を、がんばってきてよかったです。
私の夢は小学校の先生になって、世界一のクラスを作ることです。私は、おもしろくて楽しい先生になりたいです。クラスの全員が、学校に来るのが楽しいと思えたらいいなと思います。私は五年生のときに、学校の先生になりたいなと思いました。なぜなら担任だった先生は、毎日がとても楽しそうだったし、私たちも先生の授業を聞くことやクラスで協力することが、とても楽しかったからです。私は、小学校生活がとても楽しかったから、先生になって、子どもたちにも楽しさを伝えたいです。