同志社中学校
合格-2013年度
努力は必ず返ってくる
ぼくには夢があります。それは、新薬を開発する研究者になることです。世界には、治せない病気がたくさんあります。五年生のとき、テレビのドキュメンタリー番組で、治らない病気で苦しんで いる人たちの姿を見ました。そのとき、ぼくはとても悲しい気持ちになり、そして、その人たちの力になることがしたいと思いました。だから、ぼくは将来病気を治せる薬を作り、一人でも多くの人が笑顔になれるようにしたいのです。
ぼくが入塾したのは、五年生の五月ごろでした。最初は明確な目標がなく、ただ授業を受けていればいいかなと思っていました。五月に入塾した分、みんなから数ヵ月分の勉強がおくれていたこともあるかもしれませんが、授業をただ受けるだけでは成績が伸びず、少しずつ悩むようになりました。知らないことや、解き方の分からない問題が多いから成績が悪いとわかっていたので、とにかく宿題でまちがえたところを解けるようにしたり、授業の復習をしたり、自主勉強をすることにしました。だけど、それでもあまり成績が伸びなかったので、先生に勉強のやり方を聞いて、そのやり方で一生懸命に勉強しました。そのおかげで算数と理科と社会は成績が少しずつ伸びていきました。けれども国語の成績はなかなか伸びず、不安な気持ちがふくれあがってきました。「もうこのままではヤバイな……。」と思い始めたのが、六年生の十月でした。そこで、国語の先生に相談をして、補習をしてもらうことにしました。それは、いろいろな学校の過去問を解いて、その解説をしてもらうというものでした。補習を受け始めると国語の成績が伸びて、それとともに、少し自信を持つことができました。
また六年生の六月からは、「日曜進学教室(日進)」が始まりました。「日進」は、山科教室まで行きました。初めての教室で知らない人と学び、初めての先生に解説をしてもらったので、少し緊張しました。この緊張感を味わうことは、入試の雰囲気に慣れる練習にもなりました。毎週「日進」が終わると、月曜日に復習をしていました。復習をすることで、できなかった単元が少しずつできるようになりました。自分の苦手な単元を少しずつ克服することで、受験に対する自信が高まっていくのを感じました。
そして入試当日になりました。その日まで、できることはすべて出しきり努力してきたので、会場に着くまでは緊張せず、落ち着いていました。けれど、入試会場に入るとピリッとした空気がただよう部屋だったので、少し緊張しました。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせ、できるだけ、「日進」の二十一回目を受けているのだと思うようにして、本番にいどみました。その結果、各教科の試験では自信を持って全力を出しきることができました。
そして、合格発表の日。その日は併願校の受験の日でもありました。試験が終わり、帰りの電車に乗っている間、「もしも、同志社中学校の結果の郵便が届いていたら……。」と考えると、とても心臓がバクバクして、はちきれそうでした。電車の中の一分一秒がとても長く感じました。帰るとまだ、結果の郵便は届いていませんでした。夜の7時頃に、郵便は届きました。封筒を受け取ったとき、背中が凍りつきそうでした。ふるえる手で封を開けると、「合格証」と書いた紙がありました。それを見たとき、頭が真っ白になり、信じられなくて一瞬合格したという気がしなくて、合格証を何度も何度も確認してしまいました。お母さんが横で喜んでいるのを見て、合格したのだと気づき、自然と涙が出てきました。
後日、成基学園の先生にあいさつに行きました。ここまで来られたのは先生を信じて、つき進んできたからだと思います。そして、たくさんの人たちに支えてもらったおかげで合格を勝ち取ることができました。成績が伸びずに大変だったときに勉強のやり方を教えてくださったり、補習をしてくださったりした成基学園の先生。気持ちが落ちこんでいるときに、優しく助けてくれた家族。「宿題が大変やったら言ってな。」と言ってくださった学校の先生。まわりの人たち、すべてに感謝したいと思います。学校の先生は、「努力は必ず返ってくる。」とおっしゃっていました。今回受験を通して、この言葉の意味がわかったような気がします。なぜなら、同志社中に入るために約二十ヵ月努力(勉強)をしてきて、その努力(勉強)が返ってきた(合格した)からです。ぼくは、その「努力は必ず返ってくる」を合言葉にして、これからの人生を送っていきたいです。