同志社中学校
合格-2022年度
移動が楽な世界にするために、電車の運転士になって、日本中の人たちを楽しませることです。
以前、父と電車で太宰府に行ったとき、電車が好きになりました。電車は、人が楽しい気持ちになれる場所に人を運び、人を幸せにする力を持っていると思います。ぼくは将来、人を守ることができる強さを持つ人物になりたいと思っています。電車で人の安全や幸せを守るために、電車の運転士になって、たくさんの人に電車に乗ることの楽しさを伝えたいです。
中学受験は人生の第一歩
合格通知を見たとき、思わずぼくは、「よっしゃあ!」とさけんでいました。とても大きな達成感があって、自分を支えてくれた人たちに、合格したことを伝えたくてしかたありませんでした。
ぼくが成基学園に入塾したのは、小学五年生の九月でした。きっかけは学校の友だちが受験勉強をしていて、自分も挑戦したいと思ったからです。塾に入ったばかりの頃は、成基に通う皆のことが自分よりもずっとかしこい人たちに見えて、早く皆に追いつきたいと思っていました。そのために、四年生や五年生の範囲のS‐webを見たり、「授業式」と自分では呼んでいますが、自分のホワイトボードを使い、塾で先生がするように自分で自分に授業をする方法で復習をしたりしました。一日でも早く皆に追いつこうとがんばりました。
強く受験を意識し始めたのは、六年生になってからです。同志社中学校見学会に行ったときに、グラウンドや図書室を見て学習環境が整っていることを知り、学校の雰囲気に圧とうされました。「絶対に合格してやる」と、決意しました。
受験学年になって一番変わったことは、勉強の量です。五年生のときは一日三時間ぐらいしか勉強していなかったのですが、六年生になると一日六時間ぐらい勉強するようになりました。家では時間を意識し、タイマーを使って、先生からもらったプリントなどを解きました。
もちろん辛いことはたくさんありました。とくに、〈日曜進学教室〉では国語の偏差値がなかなか五〇を超えることができず、悪いときは偏差値三三をとってしまいました。このときは、とても落ち込みました。また、理科の溶解度にはとても手こずりました。本当にできるようになるのか、自信が持てませんでした。そういうときは、間違えたところの単元をもう一回、一からやり直しました。また、先生に相談に行って、先生と一緒に特訓をしました。自習室や図書室で閉館時間ギリギリまで自習をしていました。そして、過去問を先生にもらい国語は十四年分、算数は二十年分、理科は十七年分、社会は十三年分を、一生懸命スピードを意識して解きました。くじけそうになったり、やめたいと思ったりしたときは、「がんばり続けたら絶対に合格できる」と自分に言い聞かせ、諦めませんでした。それでもまだ辛かったとき、両親が、「勝己の名前は、己に勝つという意味だから、自分に負けずにがんばって。」と話してくれて、ますます同志社中に行きたいという気持ちが強くなりました。
入試当日は、これまで同志社中を意識して問題を解いてきたので、平常心で臨むことができました。そして試験開始直前、一生懸命努力してきたことや、両親や先生の言葉を思い出しました。「絶対に合格できる」と思いました。合格した事がわかったときは、本当にうれしかったです。がんばってきてよかったと、心から思いました。一番感謝したい人は両親です。ずっと一番近くで見守ってくれていて、ぼくのためにいろいろな手助けをたくさんしてくれたり、朝早く起きて弁当を作ってくれたりしました。ぼくがつらいとき、いつも一緒にいてくれました。
ぼくは、中学受験のことを「人生の第一歩」だと思いました。中学受験をするまでは、自分で考えることをせず、誰かに頼っていました。集中力がなく、勉強をしていても、他のことにすぐ気を取られていました。しかしぼくは、受験勉強をする中で、本気で自分の成績と向き合い、本気で志望校を目指し、行動しました。自分の目標に向けて、どのように行動するべきか、自分の頭で考えて決めました。中学受験を終えて、自分が変わったことに気がつきました。ぼくは将来、人を守れる強さを持った人になりたいと思っています。そのような人物になるために、これからも自分の頭で考え、己に勝てるように努力をし続けます。
これから受験をがんばろうとしている皆さんに伝えたいことは、自分を信じて欲しいということです。自分で決めた目標に向かって、諦めずに進んでいってください。