同志社中学校
合格-2016年度
また、自分のスタートラインへ
僕の将来の夢は、世界のいろいろな人を病気から助ける薬を作れるような薬剤師になることです。
なぜ、この職業を志したかというと、去年テレビで、医学者の大村 智さんが血のにじむような努力の末に、たくさんの人々を救ったニュースを見たことがきっかけでした。僕も、まだ健康的な生活ができていない国や地域に住んでいる人を病から救い、幸せな暮らしをさせてあげたいと思ったからです。
僕は、四年生の冬ごろから成基学園に入塾しました。実は、四年生のころは、受験なんて一回も考えたことがありませんでした。五年生になり、「受験コース」に入ったときから、「よし! あと二年後に大事なテストがあるんだ! がんばろう!」と思うようになり、四年生のときより、さらに勉強量を増やしました。
しかし、そのころ僕の心の中にある思いがあり、それが僕の「学習」の道をはばみました。それは、「まだ受験本番まで二年もあるんだからまだ時間があるし、今がんばらなくても大丈夫でしょ」という思いです。こう思ってしまうことで、だんだん勉強量が減ってきてしまい、オープンテストも成績が下がっていってしまいました。
そんなとき、僕の「成績向上の鍵」となったのは、当時の教室長のN先生でした。N先生は成績が落ちる一方で悩む僕にこう声をかけてくれました。「君は今スランプなのか? それとも、ただ単に努力をサボっているだけなのか?私は君がただ単に勉強、つまり努力をしていないだけに思えるが。君の成績はこれまで波のように上がり下がりしていた。でも、だんだん落ちていくようでは本当の受験の日、どうなると思う? 受験本番は、すぐに来てしまうよ。今、努力、つまり勉強しなかったら、いずれ後悔するぞ。まだ五年生なんだから、まだ取り返せる! 時間を無駄にするな。」
僕はこのときから、いつもの自分を切り替え、「一日三時間は必ず勉強する!」と決めて、必死に志望校へ向かって、そして、自分の夢に向かって努力を続けました。
N先生のはげましのおかげで、どんどん成績は向上し、志望校は高レベルの学校をねらおうかと思えるようになりました。
そのとき、自分の中で行ってみたいと思った学校があり、六年生の五月ごろに学校見学会があったので申し込んでみました。しかし、いざ行ってみると正直、「自分にこの学校は合わないな」と思いました。そして、「同志社中学校」の学校見学会に行きました。校舎に入って、同志社中の「自由」なところにとても魅力を感じ、ひかれていきました。そして、「僕はこの学校に行きたい!」と思いましたが、両親からはあまり賛成されませんでした。しかし、僕は見学会で見た、「自由闊達」な校風が自分に合っていると思えた同志社中へのこだわりがとても強かったので、両親にどうしても同志社中に行きたいことを伝え、両親から応援をもらい、第一志望校を同志社中に決めました。
ここで僕が伝えたいのは、「志望校」というのは、必ずしも「自分に合った学力」で調整し、決めるものではなく、「自分自身にどれだけ合っているか」で決めるものだということです。
僕は初め、偏差値ばかりを気にして志望校を考えていました。しかし、こう考えることで、「その学校へ入学することの楽しみ」が芽生えました。
僕は、同志社中に入学することで、「自分の可能性を広げたい」と思っています。というのは、この学校に入って、「もっと自分に合った夢」、つまり「志」を探してみたいからです。
もし僕が将来、今の志、「薬剤師」を目指すなら、「薬学博士」の学位を取りたいです。薬剤師免許のさまざまな試験が受けたいので、必ずこの学位を取りたいです。この資格を取るための勉強も含め、これからの学校生活では、「自分の可能性を広げること」をしていきたいと思います。
長い人生を考えれば、これからの学校生活なんて、ただの通過点です。でも、その「通過点でどれだけのことをするか」で、将来は大きく変わってくると思います。
自分の人生をもっと幸せなものにするためにも、今、このときから自分の人生に新しくスタートラインを引き、中学校生活をスタートさせ、「これまでの自分」も尊重しながら、充実した学校生活を送っていきたいと思います。