同志社中学校
合格-2016年度
夢に向かってステップアップ
私は、もともと受験したいという思いもあり、五年生の夏休みにお母さんのすすめで成基学園に入塾しました。最初は、みんなより遅れをとっていたため授業についていくのに必死で、とりあえず宿題だけはしっかりやろうという気持ちでがんばっていました。しかし、初めてのオープンテストでは、偏差値がとても低く落ち込みました。そのこともあって今の勉強だけではだめだと思い、次のオープンテストに向けて、復習もしっかりするようにしました。そして少しずつですが、前より偏差値を上げることができました。
塾に慣れてきた頃には、ショートテストで満点近い点数を何度かとりました。このままいけば、簡単に合格できるのではないかと思っている自分もいました。けれども、思うようにオープンテストで点数がとれないと、やっぱり自分の考えが甘かったことに気づかされました。
そして六年生になり、授業の回数や宿題の量が増え、正直嫌だと思うことが何度かありました。でも、これを乗り越えなければ合格できないと思い、途中であきらめるのも嫌だったので、自分をふるい立たせてがんばってきました。
六月に入り、〈日曜進学教室(日進)〉も始まりました。初めは出る範囲もわかっていたので、その部分を復習し、テストを受けていましたが、《ベーシックコース》に入ると範囲がなくなり、本番の入試と同じ状態になりました。すると一気に成績も下がり、点数も五十点を下回ることが多くなってきました。そこで何がいけないのかを考えると、復習や直しはしていたけれど、これと全く同じ問題が出るわけじゃないと思い、何度も解き直しをしていないことに気がつきました。そして、赤本をしていてもあることに気づきました。それは〈日進〉がしっかりできていないと、入試問題も解けないということです。つまり私は、《チャレンジコース》でしたが、基礎的な問題が多い〈日進〉も解けないのに、入試問題ができるはずがないということです。そこから基礎をしっかり固めようと思いました。けれども、何がわかっていないのかもわからず……。そこでお母さんが、〈日進〉のどの部分で足を引っ張っているのか、すべて書き出してくれました。自分でも苦手克服ノートを作って何度も解き直しを繰り返したり、算数でもケアレスミスの多かった私は、学校へ行く前に四則計算を何問か解いたり、漢字のでる順などもしたりしました。そして、わからない問題は後回しにせず、先生に質問しに行きました。すぐに成績は上がりませんでしたが、これだけやったんだからという自信にはなりました。
私は、初めて同志社中学校のオープンキャンパスに行ったとき、自由な校風や部活の多さなどにひかれ、とても気に入り、同志社中を第一志望校に決めました。
時々、家族に学校に連れて行ってもらいました。そうすることで、くじけそうになったときでも、自分のモチベーションを維持することができたからです。そして、何のために受験するのか考え、目的意識をはっきりさせることで、さらにがんばることができました。そんななか、第二志望校のことを考えたとき、自分の強い意志がないことに気づきました。もし、入学できたとしても長くは続かないと思い、家族と相談した結果、私は受験校を同志社中一本に絞ることにしました。その選択がよかったのか、決めた後は同志社中のことだけを考えることができ、さらに勉強に打ち込むことができました。
私の将来の夢は、治すことの難しい病気の薬を開発、研究することです。テレビで病気をわずらって苦しんでいる人を見て、助ける方法はないかと考えたとき、治療薬を自分で作って助けてあげたいと思ったからです。
私は、お母さんによく言われていたことが一つあります。それは、「悔いの残らないように一生懸命努力しなさい。そしたら、どんな結果であっても後悔しないから。」私は受験を通して、その言葉の意味がよくわかりました。入試の結果がまだわからない段階でも、やりきった感があり、後悔は全くありませんでした。
今がんばっているみなさん、辛いこともあるかもしれませんが、悔いの残らないよう努力してください。そして、自分を信じてください。私もこれからがスタートです。壁にぶち当たることがあっても負けずに、受験で得たことを思い出しながら、さらに一人で解決できるための力を身につけることを課題とし、中学校でもがんばります。
最後に、ここまで支えてきてくださった先生方、目標に向かって一緒にがんばった友だち、そして、どんなことにも全力で支えてくれたお父さんやお母さん。ありがとうございました。改めて、たくさんの人に支えてもらっているんだなと感じることができました。私も人の役に立てるよう、がんばっていきます。