同志社中学校
合格-2018年度
世界のだれが読んでもおもしろくて楽しんでもらえる作家になって、人に元気を与えることです。
五、六年生のころ、成績が伸びず落ちこんでいた時がありました。そんなとき、作家の重松 清さんや梨木 香歩さんの本を読んでいると、自然と元気が出てきました。私もそんな風に人に元気を与えられるような人になりたいと思って、作家になることを志しました。これからは分かりやすい文章やすてきな言葉を使って、具体的に自分の考えを伝えられるようになりたいです。
夢に向かって
私が成基学園に入塾したのは、四年生の春です。父に勧められて中学受験することを決め、作文の指導にも力を入れていると聞いた成基学園に入塾したいと思い、テストを受けました。
四年生ではさまざまなオープンキャンパスに参加しました。その中で私は、同志社中学校の他の学校にはない行事や聖書の授業、自然に囲まれたレンガ造りの校舎や自由な校風にあこがれて、志望校が同志社中学校と決まりました。五、六年生でも毎年同志社中の学校見学会に参加したことは勉強のはげみになりました。
四年生の頃は、成績もほぼ安定していて、授業も楽しかったので勉強もあまり苦ではありませんでした。しかし、四年生の終わりには〈成基オープンテスト〉で点数を落としてしまい、五年生は一組からのスタートになりました。次の組替えで二組に上がることができましたが、一組と違って内容が難しくついていくのが大変だと感じた時期もありました。
五年生の夏には、〈夏期講習会〉や〈算数集中特訓〉が始まると勉強に追いこまれるようになり、スランプにおちいった時期もありました。また、六年生で始まった〈日曜進学教室(日進)〉では、得意な国語や社会では点数が取れても、苦手な算数や理科の計算単元に毎回苦しみ、偏差値も同志社中に届かず、悔しい思いをすることもありました。そんなとき、私を救ってくれたのは周囲の人たちと本でした。家族や友だちは私の話を聞いてくれました。本は、何度読み返しても私をはげまし、笑わせてくれました。
私の中で印象に残っているのは、六年生の〈夏期学習合宿〉でのある出来事です。ある自習時間で、となりの席で自習をしていた人と私は同じ算数の問題集を解いていて、いつの間にかたがいに解くスピードを競い合っているような状態でした。私はその時に負けてしまい、そのくやしさをバネにすることで、入試までの日々を過ごしました。また、教室でもTさんやHさんなど、私が負けたくないと思うライバルがいたからこそがんばれたんだと思います。最後の〈日進〉では、社会で過去最高の得点を取れたことも一つの大きな自信になりました。
入試当日は、山科教室のO先生も応えんにかけつけ笑顔で送り出してくださり、不安や緊張を感じずに入試に臨むことができました。しかし不安や緊張は、入試が終わった後にやってきて、「絶対に合格していない」と思いこみ、とても落ちこみました。それでも、「できることはすべてやったんだから悔いなく進もう」と次の他の学校の試験に気持ちを切り替えました。また、自宅に届いた合格通知は、封筒がうすかったので、不合格になっていることも覚悟していましたが、合格と分かったときは本当にうれしかったです。
これから受験をするみなさんに伝えたいことは、最後に「もっとやっておけば良かった」と後かいするようなことはしないでほしいということです。失敗はしてもいいけれど、それをきちんとふり返って分析して、達成感のある成功につなげてみてください。また、学校を選ぶときには、その学校に自分がいるイメージが頭に浮かぶような学校や、「ここで学びたい!」と強く思った学校を選ぶといいと思います。
これから私は、同志社中ではば広い知識やさまざまな表現技法を習得しながら、自分の意見や考えを具体的に説明することができるよう、未来を見すえた学習をしていきたいと思います。
私が合格を勝ち取るまで、多くの人に助けてもらいましたが、一番感謝したいのは家族です。夜の送迎や、お弁当を作ってサポートしてくれたお母さん。勉強についての悩みを聞いてくれて、受験前の二週間は塾までむかえに来てくれたお父さん。一人家で待つことも多かったはずなのに、あまり文句も言わずに、私が合格したときは一緒に喜んでくれた妹。家族がいたからこそ合格できたと思います。本当にありがとう。また、つらいときや苦しいときに私を支えてくれた友だちや先生方、本当にありがとうございました。
私は、この中学受験のことを忘れません。これからの人生でつらいことがあったら、この三年間のことを思い出して、志に一歩でも近づけるように日々がんばっていきたいと思います。
2018年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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中村 花菜さん | 宇治教室 |