同志社中学校
合格-2015年度
最後まであきらめなければ夢は叶う! !
私が成基学園に入ったのは、小学一年生のころ。ただ外に出るのが好きだという理由で、母にすすめられて入塾した。その後、四年生になるまで、私は自分が中学受験コースにいるということを知らなかった。
四年生のときに、先生から志望校を決めなさいと言われ、近いという理由だけで関西大学中等部にした。しかし、父から四年生の冬に、同志社中学校にしたらと言われた。まずは、学校見学に行ってみた。すると、とてもおどろいた。初めは、学校見学に行くのはとても怖かった。しかし、同志社中に行ってみると、通っている人たちがとてもやさしくて、私はここに絶対に入学するんだと思った。さらに、自由な校風にもひかれた。
それから、同志社中は理科を重視していることを知り、先生からもらったテストなどを、自分なりに何度も何度も解き直した。それは、今思うと、とても大切なことだった。
そして、私は六年生になった。いとこが成基学園に通っていて、「六年生になったら、今までにはない、とても大変なことばかりだ。」と言っていたので、私はとても緊張した。しかし、どうしても同志社中に行きたかったので、がんばっていこうと思った。私は、自分のいるクラスが上であることだけに満足していた。しかし、夏休み中にあった〈夏期学習合宿〉で、クラスのみんなが問題を、とてもスラスラと解いていたので、内心すごくあせった。何とかついていこうと必死でがんばった。
秋になって、とうとう赤本をやることになった。初めは、六年分を何周もくり返しやっていれば大丈夫だと思っていた。しかし、算数のK先生に、「算数は二十年分をやりましょう。」と言われたときは、とてもおどろいた。しかし、私は何が何でも同志社中に行きたかったので、やると決めたからには最後までやろうと思った。
それからは、私はずっと同志社中の過去問ばかりをやっていた。特に算数は、夜遅くになってもわかるまで質問した。しかし、〈日曜進学教室(日進)〉の成績が思うように上がらなかった。そのとき母に、第一志望校をあきらめて、第二志望校を第一志望校にしたらと言われた。しかし、私は第一志望校を変えなかった。なぜなら他の、どの学校よりも、同社中に自分が通っている姿がイメージできたからだ。
そして、入試当日。試験がはじまる前は、大丈夫かなと、とても心配した。しかし、はじまると、「心配しても仕方がない! 私は一年生の頃から、ずっとがんばってきたんだから、最後まで自分を信じよう」と思った。初めの国語は、調子よくスタートできたので、どんどん苦手な算数や理科も解けていった。自分でもびっくりした。
そして合格発表。封筒がとても薄かったので不合格だと思い、不安になった。けれど、そっと中をのぞくと、「おめでとうございます」と書いてあったので、とてもうれしかった。そして、今までがんばってきて本当に良かった!今まで遊びに誘われても断ってきてよかったと思った。
私の将来の夢は、サッカー選手。きっかけは、ワールドカップの澤穂希選手のプレイを見たことだった。他の選手がボールを前に出した瞬間に、澤選手が正確に、そのボールの動きを把握して動き出したことがあった。そのプレイを見て、私はとても感動した。そしてそのときに、サッカー選手になりたいと思うようになった。また、私が夢をめざすようになったときと同じように、大人になったら、勇気・感動・笑顔・夢を、小さい子どもたちに与えたいと思った。
中学校に入ったら夢のために、サッカーと英語をしっかりとがんばりたい。英語をがんばりたい理由は、将来、外国でプレイをしたいと思っているからだ。世界中で活躍し、両親に恩返しをしたいと思っている。
六年間、授業をしてくださって、質問を受けてくださった先生方や、親せき、両親にとても感謝しています。私を支えてくださって、本当にありがとうございました。