京都市立西京高等学校
(エンタープライジング科)
合格-2014年度
挫折からの成功
私の将来の夢は英語を使う仕事に就いて、世界中で活躍することである。中学三年生になるまで、私は将来について深く考えたことはなく、夢や目標などはなかった。しかし、中学三年生になって自分の将来について考えるようになった。最初は 自分の好きな英語を活かせる仕事がしたいという気持ちだけであった。だが最近になって、世界が身近になった現代だからこそ、言葉を使ってコミュニケーションをとることが大切だと思うようになった。この夢を実現するために、私は勉強で知識と忍耐力をつけ、英語のコミュニケーション力を養ってきた。これからも勉強をがんばり、英語でコミュニケーションをとる練習がしたい。
私が成基学園に通いはじめたのは、小学五年生のときだ。入塾テストでは、あまりいい点数をとれず、周りの人たちのレベルの高さに愕然とした。私は模試などでも思い通りの成績がとれず、D判定ばかりであった。にも拘わらず私に焦る気持ちはなく、家で勉強はほとんどしなかった。結果、私は京都市立
西京高等学校附属中学校に落ちてしまった。駄目元で受けた気持ちはあったが、やはりショックだった。
そのまま、地元の公立中学に入学することになり、受験に落ちたショックからか、私はもう上を目指さず、某高校に進学して、普通の人生を送ろうとしていた。しかし、母に成基学園にそのまま通うように勧められ、嫌々ながら成基学園中学部に進級した。そして、一年間を大した目標も持たずに過ごした。
私の気持ちに大きな変化があったのは、中学二年生になった頃だ。二年生になって受験を少し意識し始めていた頃、私と同様に中学受験に失敗した友だちと志望校について話していた。その友だちは、京都府立 嵯峨野高等学校に進学したいと言っていた。私が某高校に進学するという意向を伝えると、その友だちは驚いた顔をして、「Nならもっと上を目指した方がいい」と言ってくれた。私はこのときから、目標を高く設定した。そして、母や先生方と話し合い、「西京高校にリベンジしてやる」という気持ちが芽生えた。
やがて三年生になり、将来の夢ができ始めた頃、英語教育に力を入れ、社会の中で活躍できる「社会人力」を養うという西京高校の教育方針に心が惹かれ、西京高校に進学するという目標がより強いものとなった。
三年生になり部活を引退すると、私は本格的に受験勉強を始めた。一、二年生のときは学校や塾で寝てしまうことが多々あったが、塾ではもちろん、学校の授業でも先行する塾の勉強内容の復習だと思って真剣に取り組んだ。学校の授業でも、姿勢次第で得られるものは変わってくる。
成基学園での〈中3夏期学習合宿(夏期合宿)〉は、本当に体力的にも精神的にも辛かったが、〈夏期合宿〉での経験によって受験に必要な知識が増え、またその後の受験勉強にも役に立った。普段とは異なる先生の授業も新鮮で、周りのライバルたちに負けないようがんばった。
そして、ついに始まった〈日曜進学教室(日進)〉。私は最初は調子が良く、A判定が続いていた。しかし、私はある回で大きな挫折を経験した。〈日進〉で西京高校の判定がE判定だったのだ。その回は全く集中できず、パニックを起こしてしまった。これが入試本番で出たら、絶対に落ちると思った。しかも、私たちの代から入試制度が変わり、西京高校の入試科目には理科と社会が追加され、中学三年生まで三教科しか取っていなかった私は、不安でいっぱいだった。
そんなとき、私の支えになったのはライバルでもある友だちである。友だちと点数を競って切磋琢磨し、ときには励まし合った。私は〈日進〉の復習を中心に勉強していた。そして、〈日進〉での成績は上がっていき、その後は全てA判定がとれた。
受験の当日はあまり緊張しなかった。逆に、やってやるぞ、という思いでいっぱいだった。そういう気持ちでいられたのも、成基学園での努力は誰にも負けていないという自信があったからだ。
そして、私は西京高校に合格した。本当に嬉しかった。あの嬉しさは必死にがんばった者にしか味わえないものである。努力しなかった者にはあの嬉しさはなかったであろう。
私が西京高校に合格できたのは、多くの人の支えがあったからだ。塾や学校の友だち、先生、そして両親。みんなのおかげである。特に両親には五年間、成基学園に通わせてくれたことに本当に感謝している。成基学園に通わなければ、今の私はなかったであろう。某高校で普通の人生を送っていたかもしれない。そして、最高の友だちと出会えた。友だちとは「京都大学で会おう」と約束した。
これから受験勉強をする人たちは不安でいっぱいであろう。目標を高く持って、あきらめずに突き進んでほしい。人は失敗と挫折を経験して、より強くなるのだ。