京都市立西京高等学校
(エンタープライジング科)
合格-2019年度
恵まれない人々を助けることができる弁護士になることです。
最初は、私の将来像について全く考えていませんでした。しかし、中学三年生、つまり受験生となり、志望校を決めました。でも、一番大事なことは、その高校で何をするかという具体的な目標を持つことだと気付きました。私は、どのような形であっても、人を助けることができる職業をしたいと思いました。その中で、強く憧れていた弁護士という大きな目標に決めました。
受験で得たもの
私は、今回の受験で多くのものを得られました。自分の将来像、勉強の仕方、先生たちとの出会いなどたくさんあります。これらのことは、私自身で見つけ出せないことも多くありました。それらは、先生方が私に見つけやすくしてくださいました。では、それらの中で一番見つけにくかったものを紹介していきたいです。
それは、自分の将来像です。
私は、内部進学という道がある中学校に通っていました。小学校から中学校のときは、内部進学でした。成基学園に通い始めたばかりの中学一年生の頃は、内部進学をこのままするのかなという気持ちが強くありました。さらに、受験は三年後というとても先の話だと感じていました。そのため、一年生の頃は全く勉強をしていませんでした。
しかし、中学校生活があまり充実していなかったことや、新たな交友関係を築いてみたいという気持ちが徐々に表れてきました。そのあたりから、外部受験を意識するようになっていきました。そうしている間に、一年間は過ぎていきました。
二年生になり、友人に誘われて、初めて学校説明会に行きました。学校説明会で生徒たちが、とても楽しそうだなと感じました。自分もこのような学校へ行きたいという強い憧れを感じました。それが私の第一志望校となりました。
かなり難しい学校なので、勉強をしないといけないことはわかっていました。でも、クラブ中心の生活で毎日帰ってくると、とても疲れていて、なかなか勉強に集中できていませんでした。そのクラブ中心の生活のまま、あっという間に一年が過ぎました。
三年生になると、高校で何がしたいか、それが一番重要だと先生に教えてもらいました。そこで憧れていた弁護士に決めました。志望校合格が私の志の近道であるとわかっていながら、クラブ中心の生活は夏まで続きました。受験生となったものの、数ヵ月は、片手間の勉強となっていました。しかし、〈Vもし〉での成績が落ちて、〈夏期学習合宿〉では奈良六組という私が目指していたものではなかったです。そこで、ようやく危機感を抱きました。「このままでは、第一志望校に受からない」と感じました。私は、自分で自分を変えないといけないと思いました。今まで、私は辛い道と楽な道があれば、絶対、楽な道しか通ってきませんでした。志望校に受かるには、辛い道を通って私自身が変わらないといけないと考えるようになりました。
そして、夏休みが過ぎて、〈日曜進学教室(日進)〉が始まると、〈日進〉に向けて勉強をし、〈日進〉の復習をしていきました。順位は、少し上がったり下がったりしながらも安定していました。
しかし、一度だけかなり順位を下げました。相当ショックを受けていて、志望校もダメかなと少し思いました。翌日、先生と面談でどうなるかと思っていたら、気にせず、復習してくださいと言われ、気持ちが少し楽になりました。
気が付くと、一月になっているという状況になっていました。そして、一月下旬には、多くの友達の進路が決まっており、少しうらやましいと思って、内部進学にしておいたら良かったという後悔や、本当に志望校に受かるのかなという不安などを抱いていました。でも、自分の将来像を実現するためには、何が何でも受験に合格するという強い気持ちが表れてきました。
一月はすぐ終わり、二月が始まると、入試が始まり、気が付けば終わっていました。
この三年間で、いろいろなことが体験できました。そこにプラスアルファとなったものは、この受験です。
自分の将来像を見つけることができたのは、外部受験すると決め、それがなぜ外部受験するのかということを考えていたからだと思います。
私は、この三年間、特に一年間を振り返ってみると、勉強ばかりするのではなく、どこの高校へ行って、自分がそこで何をするのかということを考えておくのも、受験において、一つのポイントなのかもしれません。中一や中二のときは、考え方が甘く、何をするかも決めていなかったから、勉強に集中ができていなかったのかもしれません。
次のステップに向けて、私自身、非常に良い体験になったと思います。