京都市立西京高等学校
(エンタープライジング科)
合格-2014年度
出会い
私の将来の夢は、人のために役立つ仕事に就くことである。きっかけは、私が小学五年生のとき。同級生が亡くなったことだ。原因はわからない。私はその子に何もしてあげることができず、その子の役に立てなかった。残ったのは、私の記憶の 中にある、その子との思い出だけだった。また、警察官である父や祖父の影響もあると思う。自分も公務員になって、地域の人たちのために汗を流す仕事をやっていきたい。
中高一貫の私学に通っている私が高校受験を決意したのは、中学二年生の夏頃だった。このまま受験もせず、だらだら高校生になるのは嫌だった。そして何より、勉強をして自分の可能性を広げても損はないと考えたからだ。
学校と塾との両立は本当に大変だった。学校の課題は、想像していたよりはるかに多く、毎日が課題の提出日だった。しかし私は、ほぼ全てをきちんと提出日以内に出し切った。時間がない、という理由で提出物を出さないのは、私の中で一番許せなかった。
クラブも運動部に入っていて、ほぼ毎日あった。両立をするために、私は「短期集中型」を目指した。毎朝早起きをしては、三十分間集中して勉強した。長時間友だちと話しながら勉強する内容は薄い。それなら、一人で効率良く勉強した方が、同じ時間を過ごしていても全く濃さが違うと思う。
第一志望校を京都市立 西京高等学校と決めたのは、十一月頃だった。西京高校か京都府立
嵯峨野高等学校かで、ずっと迷っていた。そのときの私の成績では、嵯峨野高校の方が合格率が高く、西京高校を受験するにはそれなりの覚悟が必要だった。
決め手となったのは、学校説明会とその学校の雰囲気だった。もちろんそれだけでなく、入試の要となる英語・数学を三ヵ年ずつ解いて、先生に採点していただき、検討した。私は五教科の中で数学が一番得意だったので、数学の心配はさほどなかった。しかし、問題は英語だ。全くできない、というわけではなかったが、英作文が苦手だった。
学校説明会には、それぞれ二回ずつ行った。直感で、西京高校だ!! と思った。
そうと決めたからには、早速、西京高校に向けての対策を行った。
取り組み始めたのは十二月頃だった。毎日長文を一題解き、速読の練習をした。授業で解いた長文で日本語訳も載っているものだけを全て出し、一回読んだだけで、頭の中で想像できるようにした。すると、西京高校の過去問で、以前五十分間ぎりぎりまでかかって解いていたのに、たった一ヵ月で四十分間まで縮めることができた。嬉しかった。ちょっとした意識の違いで、大きく変化させることができるなんて思ってもみなかった。
大きな壁が立ちはだかったのは、入試本番一ヵ月前の一月。英語・数学の〈日曜進学教室〉の成績が伸びず、特に英語が下がっていく一方で、本当に悩んだ。
(西京高校合格なんて無理やし、中高一貫の学校に行っているんだから、受験を止めて、このまま高校に上がろうか……。)
何度もそう思った。こんなにも一日一日が遅く感じることも今までなかった。私学から受験するということもあり、学校の先生方や友だちから励ましの言葉をいただく度に、ありがたさを感じる反面、プレッシャーも感じていた。
ある日、教室長のH先生が私を心配し、自習していた私のところに来てくださった。H先生は私と目が合うと、ほほえんでくださった。その笑顔は、何もかもお見通しのような気がした。私を理解してくれている人が目の前にいる……。そう思うと、涙が止まらなかった。
受験を通して、私はさまざまな人と出会った。私の周りには、私を応援してくださっている先生方や近所の方、友だちがいる。皆の支えがあってこそ今の自分があるのであって、一人では何もすることができない。
入試当日は、皆に恩返しをする気持ちで臨んだ。その感謝する気持ちを持っていたからこそ、合格への道が切り拓けたのではないだろうか、と私は思う。
最後に、これから受験をする後輩たちへ。「高校受験は、今後の人生を全て決めるものではなく、単なる通過点にしか過ぎない。」というお言葉を、中学三年生の理科のS先生からいただきました。本当にその通りだと思います。どうしても合格することが目標になってしまうけれど、入試を迎えるまでの過程が大事だと思います。
いかに自分の勉強しやすい環境を作り、中身の濃い時間を過ごすことができるかどうか。また、人との出会いをどれほど大切にできるかどうか。
まだまだ時間があるとは考えずに、常に高い意識を持ってがんばってください。