京都市立西京高等学校
(エンタープライジング科)
合格-2015年度
キセキが紡いだ未来へ
二月二十日。僕はその日に、夢への新たな一歩を踏み出した。そう、夢にまで見た京都市立 西京高等学校の合格を、僕は勝ち取ったのだ。
僕の夢は、「誰もが安心して暮らすことのできる家や、誰もが気軽かつ安全に利用できる施設を設計する設計士になること」だ。僕が家を設計するにあたって、安全性を何よりも重視するのは、二〇一一年のある出来事がきっかけとなった。それは、「東日本大震災」だ。当時、小学五年生だった僕の目には、恐ろしく無残なこととして深く刻まれた。僕は、日本中が震撼したあの悲劇を繰り返してほしくない、その一心で設計士を志した。それ以前から憧れはあったが、僕の気持ちをより強くした出来事だった。志すことを覚悟したからといって、中途半端な努力でなれるような職業ではないことはわかっている。だから僕は中学生の間、必死に努力を続けたのだ。
まず、建物の設計図を描くにあたって図形の力が必要と思い、バランスよく勉強する中で特に平面・空間図形に重点を置いた。しかし、部活動との両立がうまくいかず、得意になるには時間がかかってしまった。実現したのは、部活動引退後の中学三年生の秋だった。僕の中では前が見えないほど真っ暗だったが、そこに一筋の光が差し込んだ。それが〈日曜進学教室〉、いわゆる〈日進〉だ。〈日進〉は、僕の図形の能力だけでなく、数学の他の分野や他の教科まで伸ばし、合格へと導いてくれた。〈日進〉は僕にとって、「敵」であり「味方」でもあった。なぜ「敵」という表現をするかというと、僕の中では、かつてなく難しく感じられる問題ばかりであったからだ。しかし、「味方」と表すぐらいだから、利点だってある。その難しさゆえに、〈日進〉の成績は一時期伸び悩んでいた。けれども、その難しい問題を解き直し、復習するほどに、自分の力が向上していくのが手に取るようにわかったからだ。僕のひそかな喜びでもあった。わかり切っていることだが、復習はみんながやっている。僕より成績が良かった人だって、もちろんやっている。「絶対に負けるもんか」と思うようになり、自分の中で、人に負けないくらい努力を重ねた。
こうして、周りの人から刺激を受けることで、より大きなものを得ようと、さらに一歩踏み出せた気がした。そういった意味では、僕を支えてくれたのは友人だったのではないかと、改めて感じる。切磋琢磨し合って互いを向上させ合える、本当に良い関係だった。こんな仲間と出会えたのは、小学六年生の四月に入塾した頃だった。この成基学園での友人たちやメンターと出会って、わずか四年で、こんなにも自分が変わるとは思ってもみなかった。運命の歯車を動かす引き金がこんなにも身近で、本当に驚いた。
このような、苦楽を共にし、分かち合うことができるたくさんの仲間を誇りに思うし、みんなに出会えたことに本当に感謝している。互いに支え合って生きてこそ価値を見出せる仲間を持つことができた僕は本当に幸せ者だったと、改めて感じさせられた。仲間がいて、近くで支えてくれたから、重く苦しい日々も力を合わせて乗り越えられた。これからも、そのような壁にぶつかることは幾度となくあるはずだ。だけど、壁にぶつかってしまったからといって深刻になる必要は全くないと思う。また、壁を乗り越えられたとしても、その実力を過信せず、次にそびえるであろう壁に備えるべきだ。要するに、平常心を保つことが求められているのだと思う。
S先生の言葉をお借りすると、「合格はゴールではなく、あくまでゴールへと導いていく道しるべだ」という。その通りだ。だから、新たな一歩を確実なものにしたいと思うばかりであった。そして僕は、その一歩目を確実なものとした。しかし、道しるべとなるのは合格することだけではないような気がした。日々の経験の積み重ねもまた、道しるべとなり、僕が踏み出すのにきっと一役買ってくれるはずだ。だから、日々の経験を決して無駄にすることのない生活を送るのが、僕の中ではベストだ。
日々の小さなことが「夢現」のゴールに大きく近づくチャンスになる可能性は、大いにある。そのチャンスをこの手に掴んで、ゴールにいち早くたどり着ければいいと思う。僕が理想とする未来は、「災害に負けない日本」だ。理想を現実にするために、最大限の努力と掴み取ったチャンスで確実な歩みを続けたい。そして少しでも早く、理想を現実のものにできるようにする。「自分ならできる。」そう信じて。