洛星中学校
合格-2013年度
人間万事塞翁が馬
「よっしゃあ!」と、右こぶしを振り下ろしながら、声を上げてその場で飛び上がった。 二〇一三年一月二十日、洛星中学校の合格発表の日。入試を終えて、手応えはあったと思ってはいたが、算数の答案に受験番号を書き忘れたのではないかと気になって、とても緊張していた。
だから、自分の番号を見つけたときは、本当にほっとした。そして、大津教室のT先生が、「明日の本命もがんばろう。」と励ましてくださった。しかし、ぼくは本命に落ちてしまった。とても悔しい思いをした。でも、小学生のうちから、この悔しさを乗り越えられる力をつけることができる機会をもらったと思えば、引きずってしまうような悔しさはすぐ消えた。
ぼくが成基学園に通うようになったのは、四年生からだ。その当時は、そろばん、エレクトーン、スイミング、野球をやっていたが、勉強をする塾には通っていなかった。母に、「入塾テストを受けてみたら?」とすすめられ、軽い気持ちで受け、体験授業を試してから入塾を決めた。入塾した大津京教室には、中学受験をしない「トップ高ジュニアコース」のみで、当時は受験というもの自体、全く考えていなかったから、それでよかったが、しだいに勉強がだんだん楽しくなり、もっとレベルの高いことに挑戦したくなっていった。そこで、中学受験にチャレンジしてみたいということを、秋の面談で教室長に相談したところ、「受験コース」がある教室に移籍することをすすめられた。そこで、ぼくは五年生になったら大津教室へ移籍することを決めた。
その頃のぼくは、定期購読していた「歴史シリーズ」の本を読むのが好きだった。その中で、世界のあちこちで争いごとが繰り返されてきたことを知り、また、内戦が続いている地域に住む子どもたちが、きれいな水を飲むことができず、病気になり幼くして死んでしまうことも知った。また、世界の国々で苦しんでいる人々に、手を差し伸べている人たちがいることも知った。そんな中、「夢シート」に書くことが頭に浮かんだ。「世界の国々の貧困や差別で困っている人たちを支援する仕事がしたい」。そのためには、勉強をして世界へ目を向ける準備をしなくては……と、考えるようになった。
五年生になり、「受験コース」の勉強がスタートした。分からないことだらけだった。理科と社会は、「えっ? 何それ?」と思うような単語が出てくるし、教室の雰囲気が違うし……と、戸惑うこともあった。でも、何回か通っているうちに雰囲気には慣れた。また、六年生になると時間がなくなると思い、五年生のうちに学校の見学会やオープンキャンパスに積極的に参加するようにした。ぼくが第一志望校をあっさりと決められたのは、このことがあったおかげである。そして、いよいよ六年生。最初の「オープンテスト」は成績が良く、本命校の判定は「B」だった。ここでぼくは、自分の成績に満足して、勉強の手を抜いてしまった。この弛みがあったせいで、「日曜進学教室 エントランスコース」、「ベーシックコース」共に成績に波ができ、良いときはベスト五十に入れても、悪いときは洛星中の合格ラインである百位を切ることもあった。成績は下がる。モチベーションも下がる。モチベーションが下がると成績も下がる。この負の連鎖から抜け出すためには、自分が変わらなければならない。それはわかっていた。しかしエンジンがかからない。ずっと止まったままだ。そんなぼくのエンジンをかけてくれたのは、算数のT先生だった。この出来事がなければ、今ごろ全ての受験校に落ちた悔しさを、ずるずると引きずりながら生活していたと思う。
その日から全てが変わった。本命校の赤本をやり始めたことで、成績が上昇に転じ、負の連鎖から抜け出すことができた。そして、赤本でわからない部分を先生に質問する時間を作っていただいた。しだいに一時間、二時間となり、ついには入試日前日まで答えていただいた。しかし、エンジンをかけるのが遅かったため、質問が終われなかったのだ。今はとても反省しているし、ぎりぎりまで質問に答えてくださったT先生には、感謝の言葉しか出てきません。そして、四日間連続で入試を受けた。結果は三勝二敗。ぼくは己に克てなかった。それでも、洛星中への切符を手にするために支えてくれた多くのみなさんに、本当に感謝している。今までぼくのことを支えてくれた先生方、そして家族、共に闘った仲間たち、本当にありがとうございました。
2021年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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間宮 大雅さん | 知求館 |