洛星中学校
合格-2015年度
最後まであきらめない
三年生の春、僕は成基学園に入塾した。正直、僕は自分から入りたいと思っていたわけではなかった。そして、その次の年の一月、兄が洛星中学校に合格し入学した。それから初めて洛星中の文化祭に行ったときに決意した。「絶対、洛星中学校に合格する。」
ここなら、僕の夢である、世界中の人を喜ばせることができる科学者になるための勉強ができると思ったからだ。
四年生のころの〈オープンテスト〉の成績は、全園順位で百番以内をキープし、ときには一桁の順位も取れた。五年生のころも、四年生のころのようにはいかなかったが、洛星中はA判定で、一回だけB判定を取ったくらいだった。
六年生の夏までは、〈オープンテスト〉も〈日曜進学教室(日進)〉の〈エントランスコース〉も高得点を取っていた。しかし、そのまま苦しい〈夏期学習合宿〉や〈算数集中特訓〉が終わり、〈日進〉の〈ベーシックコース〉では、今まで取れていたような点数は取れず、しかも、過去最低だった。そのときに僕は思った。「自分は、範囲の決められたテストしかできない」
ここから各単元の基本問題を中心に解き、さまざまな単元を勉強するように意識した。それとともに、僕の一番苦手な科目である国語が、特に足を引っ張っていたことがわかり、毎回の〈日進〉やその他のテストについて担当のH先生に質問した。夜おそくまで勉強していて、ときには午後十一時もよゆうで越えていた。そして、〈日進〉の〈ウルトラコース〉が始まり、入試当日までラスト百日を切った。一日のうちにやることが多く、急に一日が過ぎるのが速くなった気がした。
算数のK先生がおっしゃっていた、「基本をしっかりして、取れる問題を解け。」ということを常に頭におきながら『ラプラス』を復習した。そして、洛星中の過去問をやり始めたときは、あまり点数がよくなかった。特に算数は二十点台だった。しかし、二〇一二年度の過去問をやったときには少し自信がついた。算数四十八点、国語七十点、理科六十点、社会五十八点だった。でも、合格最低点より十何点か低かった。社会は五十八点を取ったとき、社会のT先生に怒られた。その理由は、記述を一つも書いていなかったからだ。だから〈冬期講習会〉の授業が終わった後、Pサポートで記述を書く訓練をした。そのときも過去問をし、質問もした。
年を越し、二〇一五年になり、〈正月特訓〉が三日間あった。〈志望校別特訓〉も終わった。そして、入試までの間に、『ラプラス』で算数を、『コペルニクス』で理科を仕上げた。基礎を固め直すことに必死だった。
一月十七日、洛星中の前期日程入試当日。僕はこれが最初の入試だったため、緊張していた。その日の午後に大阪桐蔭中学校の入試があった。初日は緊張し、手応えがあまりよくわからなかった。一月十八日、開明中学校の入試。このときはしっかりと合格したと感じた。開明中の入試が終わり、この日の午後五時にある洛星中の合格発表を待った。結果は不合格。大阪桐蔭中は英数選抜コースで合格していた。少しは悲しかったが、あまり悲しいとは思わなかった。なぜなら、洛星中には後期日程の入試があったからだ。それに向けて、最後まであきらめずにがんばろうと気持ちを切りかえた。
二十二日、洛星中学校の後期日程入試。はじめは理科だった。理科はいつもより難しく、手が止まったときもあったが、朝の激励のときに先生方が言われた、「君たちが最高の受験生や。」という言葉を思い出し、へこたれずにがんばれた。
そして、合格発表の日。結果は合格。洛星中に合格できたのは、夜おそくまで質問に答えてくださったH先生、熱心に授業をしてくださったK先生、一つひとつていねいに質問に答えてくださったN先生、記述が書けるようになるまで教えてくださったT先生や、家族がいたからだと思う。
そして、第一志望校に合格することを最後まであきらめないこと。チャンスがあるなら、そのチャンスを活かすこと。支えてくださった方々に絶えず感謝すること。これから入試をする人たちは、これらのことを忘れずに、合格を勝ち取ってください。
2021年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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間宮 大雅さん | 知求館 |