京都府立嵯峨野高等学校
(京都こすもす科)
合格-2016年度
野菜の栄養成分の研究や、品種改良を通して人々の健康を守ることです。
希望
私の祖父母は農業を営んでいます。私は小さい頃から、よく田植えや野菜の収穫の手伝いをしていて、家でできた野菜やお米をたくさん食べてきました。特に、私は家でできる野菜が大好きで、毎日家族の数倍は食べていました。そのうちに、「もっと多くの人にもこのおいしさを感じて欲しい」と思うようになりました。これが今の志のきっかけです。
私が塾に通い始めたのは、中三になって一ヵ月ほど経った頃でした。その頃の私は、中学校のクラスや部活の仲間との価値観に違いがあり、私が真面目にしようとすると浮いているように感じて、本当の自分を出せずにいました。毎日が息苦しくて悩んでいたときに、母から、「地元の高校ではなく、よりレベルの高い学校へ行くために、塾に行ってみてはどうか。」と勧められました。私自身、当時の環境を変えたいと思っていたので、何かに打ち込める、自分に合った高校に行きたいと思い、入塾を決意しました。
塾での勉強が始まり、まず初めに悩んだことは、とにかく授業が速く、難しいということでした。一、二年生の頃は、部活動と駅伝練習に熱中し、勉強は後回しになっていました。そのため、どんどん進んでいく塾のスピードは、私にとって衝撃的でした。わからないところは質問しないと……、と思っていましたが、なかなか初めの頃は言い出せませんでした。そんなときに、数学のF先生が、「質問はないか。」と聞きに来てくださり、質問することができました。理解した問題は印象に残っていて、同じような問題が出て、解けたときは、とても嬉しかったです。そこから他の教科も積極的に質問するようになり、みんなとの差も少しずつ縮めることができたと思います。
二学期になり、次に私が悩まされたことは〈日曜進学教室(日進)〉でした。あまりテスト慣れをしていなかった私にとって、時間配分をすることや、諦めをつけるタイミングなど、問題が難しいこと以外にも困ることが多く、結果もいまいちでした。
そして迎えた十一月十日の塾の面談で、私は厳しい現実を目の当たりにしました。目標偏差値と、そのときの私の偏差値では差が十もあり、担任のN先生には、「死ぬ気でやらんと無理や。まぐれで受かったとしても高校でついていけない。」と言われました。自分なりに一生懸命努力していたつもりでしたが、成果が出ず、身も心も折れそうだったときの厳しい言葉に、私は思わずくやし涙を流してしまいました。面談の終わりにN先生は、「聞きたいことはあるか。」と尋ねられたので、そのとき何気なく思いつき、「いつ寝ればいいですか。」と聞きました。その頃、私が寝ていた時刻は深夜二時前後で、起きていたのは七時前後でした。人一倍努力しようと夜遅くまで勉強していたものの、結局はダラダラと時間だけが過ぎていたり、授業中に眠くて集中できなかったりと、悪循環をもたらしていました。N先生は、「夜の勉強時間を朝にもってきたら?」とおっしゃり、相談していくうちに私は、これが成績が伸びない原因かもしれないということに気づき、生活習慣を変えようと思いました。そして、十二時には寝るようにし、朝は五時に起きて勉強しました。これを続けていると、自然に勉強時間が増え、眠くなることも少なくなり、〈日進〉にも手ごたえを感じられるようになりました。また、成績も調子よく伸び始めました。
そして、いよいよ受験の日を迎えたのですが、特に緊張することはありませんでした。やれるだけのことはやり切ったという自信があり、受験ではなく〈日進〉だと思って、落ちついて、楽しんで解こうと思っていました。
待ちに待った合格発表の日。私は、「どんな結果であろうと、がんばってきたことには変わりがないから、受けとめよう」と思っていました。校門をくぐり、恐る恐る自分の番号を探すと、ありました。胸の奥から熱いものがどんどん湧き出てきて、自分の番号と掲示板とを何度も確認し、入学手続きの受付まで思わず全力で走りました。
私は今、みなさんへの感謝の気持ちでいっぱいです。忙しい中、いつも私の質問に時間を割いてくださり、応援してくださったコスモの先生方、本当にありがとうございました。一緒に勉強した友だち、良きライバルとして負けまいと、がんばることができました。そして、一番支えられたのは家族です。送り迎えや受験当日もついてきてくれたお父さん。毎日お弁当を作り力づけてもらったお母さん。いつも笑顔で応援してくれた二人の妹。おいしい野菜や料理で励ましてくれたおじいちゃん、おばあちゃん、みんなありがとう。
まだまだ私の人生は始まったばかりです。これからも志を持ち続け、失敗を恐れないこと、何事も一生懸命することを大切に、未来に向かって進み続けたいです。