同志社女子中学校
(LAコース)
合格-2014年度
一回きりのこと
私が成基に通い始めたのは、小学一年生からだった。でも、そのころの私は、塾というものを受験とイコールにして考えていなくて、習いごとの、みんな行くようなところだと、あたりまえに思っていた。 けれど、学年が上がるにつれ、友だちと塾の話などをすることが増え、塾に行くイコール中学受験をする、という考えが強くなった。
そして、六年生になって、受験をもっと強く意識するようになり、テレビなんて見ているヒマもなくなった。それでも、親に、「受験が終わったら、いつでも好きなときに遊べる。」と言われ、もっとがんばるようになった。だから、学校ではテレビの話題に全然ついていけなかったけれど、受験という一回きりのことの方が大事だったから、がんばった。また、両親や祖父母から応援してもらい、最後までがんばることができた。
そして、いよいよ受験当日、私は母と試験会場へむかった。その日も次の日も、受けるところは同じだった。先生に激励してもらったあとに、私は試験会場に入った。〈夏期合宿〉のときの友だちがいたので、少しは安心して受けられた。午前中の同志社女子中学校の試験が終わると、その後すぐノートルダム女学院中学校の試験に行った。試験は二教科だったので、時間が短く感じられた。一日目は、「しんどい。」や、「つかれた。」などの気持ちしか残らなかったし、合否もすごく気になった。そして、そんな調子で二日目も終わって、小学校に登校した。まだ、同級生で入試を受けている子は全然きていなかった。そして、友だちに、「どうだった?」と聞かれた。でも、まだ合否が分からないから、私は、「まだ分からない。」と答えた。すると、その友だちは、「分かったら教えてね。」と言っていた。
そして、次の日。その日は母が発表を見に行ってくれた。そして、私は小学校に行っていたけれど、合否が気になって、学校の授業になかなか集中できなかった。その日、家に帰ると、父が、「お母さんから電話があったよ。」と言っていたので、「どうやった?」と聞くと、「合格だったよ。」と言ってくれた。私は、とてもうれしくて、父が、「おじいちゃんと、おばあちゃんにも言っておいで。」と言い終わらないうちに、祖父母の部屋へ行って、「同志社女子中学校に、合格したよ。」と言うと、祖父母も、「ほら、がんばったから合格できたやろ。おじいちゃんとおばあちゃんの言ったとおりやろ。」と言った。私は、大きな声で、「うん。よかった。言ったとおりやったで、おじいちゃんと、おばあちゃんの。」と言った。そして、その日に遊んだ友だちにも、「ぜったい合格すると思っとった。」とか、「ほんま、良かったな。」と言われた。私は、ずっと、「ほんまに良かった。」と言っていた。
そして、その日、家に帰ると母が、「番号を見つけたときは、お母さんも、すごく、うれしかってんで。」と言った。そして、帰ってきた兄も、「良かったな。やっぱり、やったかいがあったな。」と言った。普段は、めったにしゃべることがない兄の言葉だったので、特にうれしかった。そして、塾にも電話して、「良かったね。」とすごく言ってもらって、「今、普段は何をやっているの?」と聞かれたときは、「遊んでいます。」と、元気よく言った。そして、算数科の担当のT先生から電話がきて、先生は、「受験で遊べなかった分、一月は思う存分遊んで、また二月からコツコツと勉強したらいいですよ。」と言ってくださった。
その日に、今まで気づいていなかったことがたくさんあったと思った。その中で一番大切だと思ったのは、成基に一年生からずっと通わせてくれた両親への感謝だ。 だから、同志社女子中に入れたのは、一年生から六年生まで、ずっと成基に通わせてくれた両親のおかげだということを忘れずに、中学校生活もすごしていきたいと思う。これから先も、この受験勉強を通してついた自信を、いろいろなときに出会う、一つひとつの目標に活かしていきたい。そして、一つひとつの目標を達成し、夢であるデザイナーになりたい。デザイナーとして、いろいろな人にその場に合ったおしゃれができるように協力したい。そうすることで、たくさんの人にその場とおしゃれを楽しんでもらえると思うからだ。
2022年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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笹岡 みこさん | 京大北教室 |
2019年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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髙岡 優月さん | 学研教室 |