同志社女子中学校
(LAコース)
合格-2013年度
みんなでつかんだ合格までの道のり
一月二十二日、第一志望校の合格発表の日。私はお母さんといっしょに、パソコンの画面を見つめていました。私の受験番号があることを、祈るような気持ちで、同志社女子中学校のホームページを開きました。 これまで同志社女子中の赤本は、過去八年以上分こなしましたが、自己採点で合格・不合格は、ほぼ半分ずつ。本番のできも、自信を持てるほどではなかったので、不安でいっぱいでした。
だから、「一一三五」という番号を見つけたときは自分の目を疑い、お母さんに何度も確認したほどです。最後は二人で涙を流して、喜びあいました。そしてすぐに、東京に単身赴任中のお父さんや、おじいちゃん、おばあちゃんに電話して、合格の喜びと感謝の気持ちを伝えました。
私が初めて成基学園の門をたたいたのは、四年生の「夏期講習会」のときです。そのときは、中学受験のための塾とは知らず、ただ授業が楽しく、友だちとも話ができるので通っていました。そのうち、周りの人たちは、それぞれ行きたい中学があり、その中学に合格するためにがんばっていることがわかり、「私も受験したい。」と思うようになりました。でも、中学受験は決して楽しいことばかりではありませんでした。特に、五年生の冬ごろからは成績も伸びず、ショートテストも思うような点数が取れず、悔しくて泣いてしまったこともありました。とてもしんどくて、母から、「地元の公立の中学へ行ったら?」とも言われました。でも、そんなときには、自分の将来の夢である、薬の研究もできる薬剤師になることをはげみにしながら、勉強をがんばりました。
私の夢は、小さいころの体験からきています。昔、病気になったとき、お医者さんに診てもらっても、なかなか良くならなかったけれど、とても苦い薬を飲むと、すぐに良くなったことがありました。そのときから、小さい子どもでも飲みやすいように、甘くて、よく効く薬を、私の手で開発したいと思うようになりました。私は、その夢をかなえるための進学先として、同志社女子中を選びました。それは、その先にある同志社女子大学に薬学部があるからです。同志社女子中のオープンスクールには二回参加し、ますます好きになりました。
でも、六年生の夏休みを終えた時点で、成績が合格ラインまで、まだかなり足りない状況でした。私は、集中力がどうしても長続きせず、一つのことをやっていると、すぐに気が散って、他のことを考えてしまいます。だから、家や塾での自習の時間は工夫をして、タイマーを使って勉強したり、すき間の時間には暗記の本などを使って、習ったことのおさらいをしました。十月ごろからは、過去問を中心にした勉強に切りかえ、国語では漢字、数学では簡単な文章題をミスなく解けるように、何度もトレーニングしました。十月以降は毎日が飛ぶように過ぎていき、気持ちはあせるばかりでしたが、あれもこれもと手をつけず、目の前のことを大切にし、ていねいに解いていきました。兄も高校入試があり、お互い励まし合い、注意し合っていました。父とは、めったに会えませんでしたが、一週間に一度は必ず電話をくれ、励ましてくれました。
そして、私は緊張と不安でいっぱいのまま、当日の朝をむかえました。先生に言われた言葉を自分に言い聞かせて、四年生のときから遊ぶのもがまんして、テレビを見るのも、がまんしてきたことを思い出しながら、最後まであきらめずにがんばりました。でも試験では、国語は時間が足りずに最後まで解けず、算数は何度も何度も見直しをして、理科も落ちついて考えて、社会も見直しをくり返して、そして試験が終わりました。国語がやっぱり不安でしたが、他の教科が思っていたよりもできたので、まだ安心できました。
最後に、志望校合格に向けてがんばっているみなさんにエールを送ります。まず、仲間がいることを忘れないでください。塾の友だちや学校の友だちがいることを忘れないでください。そして、なにより家族です。送り迎えやお弁当作りなど、いろいろなことをしてくれています。そして、何があっても絶対あきらめないでください。努力は必ず報われます。志望校合格へ向けてがんばってください!私を合格へと導いてくれた先生方、いままで熱心にご指導いただき、本当にありがとうございました。
2022年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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笹岡 みこさん | 京大北教室 |
2019年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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髙岡 優月さん | 学研教室 |