京都府立洛北高等学校附属中学校
合格-2013年度
ぼくの挑戦
ぼくの将来の夢は、世界中の人々を救えるような医者になることだ。二年生のとき、「野口英世」の本を読んで、ぼくも世の中の人々を救いたいと思い、医者になりたいと思った。
その大きな夢を叶えるために、四年生のときに、たくさんの経験を通して、自分を高めていくことができる京都府立 洛北高等学校附属中学校に行こうと決めた。その頃のぼくは、週三回の剣道の稽古、週一回の英語教室に通い、毎日友だちと遊んでいた。そして、問題集をコツコツとやっていた。
五年生のとき、成基学園の「冬期講習会」に参加して、楽しいと感じ、6年生になってから、「洛北・西京・園部コース」に入った。塾に行くことは楽しいと思っていたが、三歳のときから習っていた英語教室を、時間の都合で休まなければならなくなったことは、本当に悲しかった。剣道は、回数は減ったが、十二月まで続けた。入塾したばかりの頃は、自分が受験をするという自覚もほとんどなく、塾に行けば受かるだろうと思っていた。しかし、テストやクラス替えで、みんながすごくがんばっていることを知り、負けられないと気合いも入った。だから、やっぱりライバルは必要だと思った。
ぼくは、国語の作文が苦手だった。だから、少しでも上手な作文が書けるように、新聞記事の要約をしてK先生に見てもらった。しかし、宿題も多く、そう長くは続かなかったから、後期から銀本の作文でK先生に花丸をもらえるまで、くり返し何度も提出した。どの教科においても、ぼくは、少しでもわからない問題があると、自分が納得するまで塾に残って先生に質問をしていた。毎日夜遅くまで勉強していたら眠いし、疲れる。でも、志望校に行くためにがんばろうと思った。そんなぼくに父と母は、「絶対合格しないといけない、と思わなくていい。挑戦するだけでも、すごいことなんだから。」と言ってくれた。この言葉で、ぼくは、肩の力を少しぬくことができたような気がする。
年が明け、入試日が近づくと、今までやってきたプリントのファイルを、母が机にならべて、「こんなにがんばったんだから、自信を持って。」と言ってくれた。ぼくは、ファイルを見ながら、この一年を振り返った。どんな質問にも答えてくれた先生、共にがんばった友だち、応援してくれた家族。今まで支えてきてくれた人たちへの、感謝の気持ちでいっぱいだった。
そして、ついに洛北高等学校附属中学校入試日がやってきた。会場へ行くときの電車でも、ぼくはやけに落ち着いていた。会場に着くと、担任のN先生がいらっしゃった。「いつも通りやれば、絶対大丈夫だから。」と励ましていただいて、校門を通った。ぼくは、『今日は周りで、どんなことが起きても、問題に集中しよう。』と思っていた。「適性を見る検査Ⅰ」の国語では、平常心でいたからか、小問を解いて、最高の状態で作文を書ききり、空白をつくらず終えることができた。その後も順調に、「適性を見る検査Ⅱ」の理科・社会も解くことができた。「適性を見る検査Ⅲ」の算数は、想像以上に難しく、たくさんの空白をつくってしまった。面接では、自分らしく堂々と言うことができた。悔いはなかった。
合格発表の日。ぼくは、普段通りに学校に行った。家に帰ると両親はいなかった。すぐに電話すると、「おめでとう。合格したよ。」という言葉が耳に入ってきた。ぼくは、「ほんまに?」と、聞き返してしまった。とてもうれしかった。ぼくに合った学校に行かせてください、と思っていたので、橘中学校の特別奨学生Ⅰ、奈良女子大学附属中等教育学校、そして、第一志望校である洛北高等学校附属中学校の合格は、本当にうれしかった。
これから受験するみなさん、日々の授業を大切にして、普段の授業は試験のつもりで、当日の試験は普段の授業のつもりでやるという気持ちで、がんばってください。ぼくはこれからも、どんなことにもあきらめず、挑戦していく心を貫き通して、がんばりたいです。
2023年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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岡村 水葵さん | 知求館 |