洛南高等学校
(空パラダイム科)
合格-2016年度
二つの変速機
二〇一六年二月十三日午後三時前、私の周りの景色が色鮮やかになった。洛南高等学校に合格したのだ。体中に掛けられていた枷が、全てなくなったような気分だった。
私は中学一年生の三月に、成基学園に入塾した。学校では中くらいの成績だった。厳しい塾と聞いていたので、とても心配していた。しかし、思っていたよりも自分によく合っていたので、勉強に集中することができた。その上、志望校も決まっていたせいか、成績もどんどん上がり、十一月の学力テストでは、偏差値六十五をとれるようになっていた。しかしそこで、「俺はもう勉強しなくても大丈夫」というふうに気が抜けて、有頂天になった私は、勉強を全くしなくなった。そして、一月の〈Vもし〉を受けた。もちろん、成績はガタ落ち、偏差値五十六という値が出てきた。それでも、怠け者の私は勉強をしなかった。
そのまま、中学三年生に突入した。その結果、私は四月の〈Vもし〉でも悪い成績をとってしまった。そこで初めて、「これはヤバイ」と思った。一つ目のギアが動いた。五月に部活動をやめ、放課後はずっと成基で自習するようになった。夜には必ず一時間の復習、朝勉強の時間も一時間確保した。
そして、そのまま〈夏期合宿〉に突入した。その会場からは、洛南高校の海パラダイムαプログラムに合格した人もいるということだったが、私はその中でも、成績下位のクラスだった。しかも、勉強はとてもハードで、テンションがおかしくなるくらいだったが、最後までやり抜いた。この経験は、忍耐力を身につけてくれた。
それから息つく間もなく、〈日曜進学教室(日進)〉が始まった。《ベーシックコース》では、いつも平均以下で、洛南高校の海パラダイムαプログラムの専願でさえ届いていなかった。六回目から《チャレンジコース》に入ったが、そこでも思うような点数が取れず、気持ちはとても落ちこんでいた。しかし、十回目の〈日進〉が終わった夜のホームルームで、運命を変える出来事があった。S先生の言葉だった。
「「十五回目の日進では、ボロボロでもいい。十六回目で勝てたらいい。」
と言葉をかけてくれたのだ。この言葉を聞けば、なぐさめ言葉だと思って、安心する人もいるだろう。しかし、私は安心ではなく、「十六回目じゃない。次だ」と思った。一気にヒートアップした。二つ目のギアが動いた。その夜から一週間、死にもの狂いで勉強した。その結果、十一回目から成績が上がり、自習も以前よりずっと集中して取り組むことができるようになった。その集中は、〈正月特訓〉のときも、〈入試直前特訓〉のときもずっと続き、そして入試本番を迎えた。
私の将来の夢は、理数系の先生になって「わからない」や「知りたい」と思っている全ての人にわかりやすく教え、人々を笑顔にすることだ。
塾の教壇に立っている先生を見て憧れ、自分もなりたいと思ったからだ。自分のわからなかった問題が、先生に教えてもらって、どんどん解けるようになったことに感動を憶えたのだ。そして私もその感動を、日本を動かしたり、世界中を飛び回ったりするかもしれない多くの子どもたちに伝えたい、そう思っている。そのために、塾や学校で学んだことを人に説明できるくらいまで理解し、実際に人に教えている。それから、人に聞かれた問題を解いて解説などを書いている。高校生になっても、同じような取り組みをしていこうと思う。例えば、授業でやったところのやり方や図などをルーズリーフやノートに書き、友だちに教えるというようなことをしようと思っている。
成基学園の塾生のみなさん!
受験を軽くみていませんか。私の受験はとても重いものでした。心臓が痛くなるときも何回もありました。受験に必要なことは三つあります。
一つ目は、「何があっても諦めない心」です。私は受験前日まで塾に行き、最後の最後まで受かろうと努力しました。
二つ目は、「わからないことをそのままにしないこと」です。わからなかったところを先生に聞き、わかるまで質問するといいと思います。K先生に、「先生というのは音声付きの参考書。とことんコキ使ってください。」と言ってもらったから、最後まで質問することができました。
三つ目は、「人のペースに流されないこと」です。私は入試直前の二ヵ月は、友だちとは別の場所で勉強していました。だから、集中して勉強できました。
今からでも大丈夫です。間に合います。これらのことを実践して、志望校に向けてがんばってください。
負けないで! !
2022年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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竹内 涼さん | 山科教室 |