高槻中学校
合格-2016年度
とりあえず最後までやる
以前、学校でけがをして、縫ってもらわなければならないときがあった。そのとき、僕を治療してくれた先生はいろいろな話をしてくださり、僕の不安な気持ちを和らげてくれた。そのおかげで、治療も嫌な思いをせずにすんだ。そのことがあって、このような医者になりたいなぁと思うようになった。僕の夢は、病気やけがで苦しむ患者さんたちを、楽しく治療し、不安な気持ちにさせることなく治すことのできる医者になることだ。そのための勉強をがんばれて、なおかつ、家から近い高槻中学校を目指すことに決めた。
小学五年生の始めあたりから、トップ高ジュニアコースから受験コースに変えた。しんどいとは聞いていたが、確かに宿題量も増えてしんどかった。しかし、まだまだゲームをしている余裕があった。母親からは、 六年生になったらこんなもんじゃないよと言われ、好きなゲームもあまりできないのかと漠然と思っていた。
小学六年生になった。宿題はまたまた増えた。今まで勉強もゲームもしていたので、なかなかゲームを断ち切ることができなかった。だから、塾で自習をして、宿題を早めに終わらせるようにした。はじめは自習している人数も少なく、集中してできていた。徐々に自習をする人が増え、僕と仲のいい友だちも自習に来るようになった。
そんな感じで、夏も過ぎ、秋が迫ってきた頃、すべての教科の宿題などがいっぱいたまってきた。自分が遅いのか、自習態度が悪いのか、やってもやっても増えていく一方だった。提出期限切れになるものも増えてきて、とにかく全てをこなさないといけないと思い、気持ちもいっぱいいっぱいになってきた。家でも学校でも不安になってきて、頭では、勉強をちょっとでもして課題を減らしていかないと、とわかっていても、不安で落ち着かなくなって勉強に手がつかなくなりだした。
高槻中学校に行くという目標はあっても、この時期から、「もう、やめたい」という思いが出てきた。周りの塾の友人に話を聞くと、「受験をやめたいとは一度も思ったことはない。」と言っていたし、『受験録』を読んでも、そんなことが書いてあった。この時期に、自分だけが「やめたい」と思っているということは、僕はもう無理だと思った。
そんなときに、担任のH先生に相談に乗ってもらった。僕の気持ちをH先生に話した。その相談の中で、自分の気持ちが少しずつ整理され、また、「自分が決めたことだから、最後までやってみて、結果を見届けてみたらどうか。」と言われ、最後までやってみることにした。そして、今までたまっていた宿題も、優先順位をつけるなどして整理してくださった。その後、他の教科の先生たちも、どのように勉強すれば良いかというアドバイスを個人的にしてくれた。これで、やるべきことがわかりやすく、すっきりした。
最後までやってみると決めたのは良いものの、〈日曜進学教室(日進)〉では、さんざんの結果が続いた。たまにいい結果が出ることもあったが、悪いときには偏差値三十台くらいまで落ち込んでいることもあった。正直、〈日進〉のテストで高槻中合格の自信は全くつかなかった。落ち込むので、点数はあまり気にしないようにふるまった。
そして、本番が近づいてきた。今まで、がんばったと思っていたので、落ちたらどうしよう、学校のみんなに落ちたら何と言われるだろうとか、いろいろな不安が出てきた。
ついに本番の日、今までの不安がウソのように緊張もせず、いつも通りの感じで受けることができた。また、問題が今までやって来たものよりも簡単に思え、合格できるのではないかとも思えた。しかし、周りを見ると全員笑顔のように見え、みんなできたのかと思った。それでも合格していると思えたので、次の日の開明中学校の入試で気がゆるんでしまったのだと思う。僕が志望していたスーパー理数コースでの合格はできなかった。
高槻中は合格していた。やはり、僕の思っていた通りだった。自分の点数を確認してみると、あまり得意でなかった算数が平均よりも少し高かった。そして、国語はH先生が教えてくださったものと同じようなものが出ていたおかげで、平均よりも二十五点ぐらい高く取れていた。とにかく合格できてよかった。
中学に入ったら、また勉強に追われる日々が来るのかもしれない。それでもがんばろうと思う。
今回、合格できたのも自分一人の力だけでなく、両親の助けやたくさんの先生に支えられたからだと思う。この受験のことも忘れず、またがんばっていきたいと思う。この受験のことも忘れず、またがんばっていきたいと思う。
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