高槻中学校
合格-2018年度
医者になり、病気で苦しむ人を少しでも楽にして、皆が笑顔で過ごせるようにすることです。
私は、母が医療関係の仕事をしている影響からか、母と同じように医療系の仕事をしたいと思っていました。さらに、小さいころに病気になってしんどかったときに、お医者さんが私を楽にしてくれたし、そのおかげで元気になりました。このような体験から、私は医者になることを志にしました。私は理科が好きだけど、特に得意というわけではありません。なので中学校に行ったら理科をがんばって、得意教科にできるようにしたいです。
夢に向かって
私は五年生のときに成基学園に入塾しました。四年生のころから両親に、
「受験したいから塾に行かせて。」
と言っていました。きっと友だちが塾に行っていたため、その影響があったのだと思います。
塾に入らせてもらったものの、ピアノ・バレエ・水泳の習い事をしていたため、両立できないということで、バレエと塾の二つにしぼることにしました。週四回のバレエと週三回の塾というハードな毎日でしたが、とても楽しかったです。本格的な受験態勢に入るため、六年生の六月ごろには塾一本にしぼりました。五年生のころは宿題もそこまで多くはなく、特に授業についていけなくてしんどいということも、あまりありませんでした。しかし、六年生に学年が上がると授業日数も宿題も大幅に増え、余裕もなくなりました。私はやることがおそいので、宿題もおくれて出すことがありました。でも先生は、
「あせらなくていい。」
「自分ができたタイミングで出せばそれでいい。」
と言ってくださったのが心強かったし、少し安心して宿題に取り組むことができました。
少しずつ六年生の授業に慣れてきたところで〈日曜練成講座〉、続いて〈日曜進学教室(日進)〉がはじまりました。〈日進〉では、結果がよくてランキングに入っていたかと思えば、次の回では思ったとおりの得点がでないときもありました。そんなときにうれしかったのが、先生や両親のはげましの言葉でした。先生は成績の悪かったテストを持っていけば、どこがだめだったのかなどをくわしく教えてくださったし、両親は、
「あせらなくても、また次がんばればいいよ。」
と声をかけてくれました。そのおかげで次の回のテストではちゃんと好成績を残すことができたのだと思います。
私がこの二年間で一番心に残っているのは、やはり〈夏期学習合宿(合宿)〉です。食事・入浴以外の全ての時間を勉強に費やしました。こんなに長い時間勉強するのははじめてでした。でもこの経験を通して、「自分はやればできるんだ」と自信を持てたし、自分の限界をこえられたと感じました。さらに、同じクラスだった人たちのすごい集中力に刺激を受けました。また、〈合宿〉前までは、あまり自分から先生に質問へは行っていなかったけど、〈合宿〉の自習時間に私も先生にわからないところをきいてみて、よくわかるようになりました。そこで改めて質問することの大切さに気づきました。そのため〈合宿〉後は、よく先生に質問に行くようになりました。
私はもともと、第一志望校は京都府立 洛北高等学校附属中学校だったので、記述問題や作文をがんばっていました。しかし、大阪にひっこさなければならなくなり、五年生のころから目指していた洛北高附中から志望校を変えることになりました。すでに十月になっていたため、不安がありました。しかし、先生方や両親にはげまされ、不安も少しずつかき消されました。そして決まった最終の志望校は高槻中学校。私は理科が好きなので、まずSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の指定校であるということ。それを重視し、また高槻中は大阪医科大学・薬科大学とつながりがあり、授業も医療系のカリキュラムがあるということに興味をもったので、そこに決めました。実際に決まると、合格して行きたいという気持ちがより強くなりました。
そして、ついに受験本番になりました。はじめての受験はとても緊張していました。「あのときこうしていれば……」と不安で頭がいっぱいでした。でも一斉激励のときに先生方から、
「落ちついてやれば大丈夫。」
「自信を持って。」
と言われて、少し安心しました。しかし、結果は最悪。緊張しすぎたせいか、軽微なミスを連発してしまいました。もう無理かなと落ち込み、あきらめかけていました。そのとき母が、
「今できることをやろう。」
と言ってくれて、A日程での反省をB日程にいかせるよう、対策を立てました。そのためB日程のときは少し自信を持って、リラックスして受けることができました。テスト後は、「やり切った!」という感じでした。そしてその二日後、私は合格発表のため高槻中に行きました。その道中、発表の時間になったので、母が携帯で合格番号を調べてくれました。私もどきどきしながらのぞいていました。ふと、私の番号があった気がしてよく見てみると、しっかりと私の番号がのっていました。わかった瞬間は信じられなかったけど、少しずつ実感がわいてきました。高槻中へ行くと、お世話になった先生方が笑顔で、
「おめでとう。」
と出迎えてくれました。そのときになって、「どんなときでも、がんばってきてよかった」と改めて思いました。
今まで、どんなときも支え続けてくださった先生方、本当にありがとうございました。また、いそがしい中でたくさん協力してくれた家族の皆にも、とても感謝しています。先生や家族の応援のおかげで私は、高槻中に合格し、受験を乗りこえることができました。皆への感謝の気持ちを忘れずに、これからは高槻中で、自分の夢・目標に向かってがんばっていきます。
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