東大寺学園中学校
合格-2013年度
一歩一歩進んだ道
人の命を救える医者になること。これがぼくの将来の夢だ。
なぜかというと、病院に行ったときに、医者という職業に感動したからだ。その夢を叶えるために、ぼくは、東大寺学園中学校に入学することを決意した。そして一月二十一日、第一志望校である東大寺学園中の入試日。この日は緊張せずに力を出し切れた。
一月二十三日、午前十一時。東大寺学園中の合格発表のときだ。ぼくは合格者の受験番号が書かれている紙に近づいていく。いつもなら、眼鏡をかけないと見えないはずの文字が目に飛び込んできた。「一二七九」見た瞬間、思わず声を出してしまった。ぼくは東大寺学園中に合格したのだ。今までにない大きな喜びがあふれてきた。と同時に涙も出た。
思い起こせば、ぼくは四年生の頃から成基学園にお世話になっていた。四年生の頃は正会員ではなく、「オープンテスト」を毎月、受けていただけだった。そして、「冬期講習会」を受け、授業を体験したぼくは、「成基の授業はおもしろいし、楽しい。」と感じ、五年生の春に入塾した。五年生の頃は、宿題をこなすだけで他に何もしていなかった。ショートテストで、クラスのベスト五に入りたいとは思っていたが、特別なことはしなかったし、「オープンテスト」でも、結果に一喜一憂するだけだった。
六年生になっても、初めの方は受験に対する意識がうすかった。それが変わったのは六月だ。六月からは様々な講座が始まった。一つ目は「最難関特訓」だ。この講座は三月から始まっていたが、この頃から、さらに大変になった。今まで見たこともないような問題を見て、さらに自分より成績のいい人ばかりに囲まれ、不安と焦りが出てきた。けれども、とにかく、わからなかった問題を復習するようにした。二つ目は「日曜進学教室(日進)」だ。「日進」では、なかなか成績が安定せず、つらいときもあったが、ここでも復習は欠かさないようにした。
夏休みには、「夏期講習会」、「夏期学習合宿」、「算数集中特訓」などがあり、心身ともに疲れた。特に合宿は、三泊四日という長い間、勉強ばかりで帰りたくなったこともあった。でも、そんな思いをしながらも合宿を乗り越えたのだから、と思うことで、そこからの長い受験勉強にも、耐えられたのだと思う。
秋からは、「土曜最難関特訓」も始まり、家で勉強できる時間がさらに減った。家庭学習は「日進」「最難関特訓」「土曜最難関特訓」の復習を中心にしていた。復習だけとはいえ、月・水・金曜には通常授業があり、気を抜くと、すぐに次の週が来てしまうので、復習はその日から一週間のうちに終わるように計画を立て、取り組んだ。同時に始めたのが、朝の勉強だ。国語では中文の読解を一題、算数では十問ほどの計算問題に必ず取り組んだ。そうすると、「日進」での成績が安定してきた。しかし、そこからが自分との闘いだった。国語の成績はよくなり、「日進」でも何回か一ケタの順位がとれた。志望校合格のためには、上位四十位以内に入ることが必要だと思い、目標にしていたが、算数がボロボロだった。いつも、五十~百位の間をさまよっていたし、『フェルマー』を解くのにも苦戦していた。受験勉強をするうえで、大切な道具の一つである赤本には、十二月頃から取り組み始めた。国語、社会は洛星中、東大寺学園中とも十一年分、算数と理科は十二年分ずつ解いた。それでも算数が苦手だったので、さらに解き続けた。結局算数は十八年分を解いたが、満足できる点数はとれず、あきらめたくもなったが、わからない部分はわかるまでねばり続けた。
入試当日、心がけたことは、「とにかく最後までやりきる」ということだった。算数ができなかったぼくが合格できたのは、ねばり続けたおかげかもしれない。努力の大切さが身にしみた。
これからの受験生のみなさんに、伝えたい事が四つある。一つ目は、努力を怠ってはいけないということだ。努力しなければ合格は手に入らない。二つ目は、時間を大切にすることだ。時間を大切にしないと後悔する。三つ目は、先生を信じ、ついていくことだ。先生は必ず合格に導いてくださる。四つ目は、あきらめないことだ。あきらめれば、自分の成長がそこで終わってしまう。この四つを実践すれば、合格が近くなると思う。
この二年間お世話になった先生方、全力で合格に導いてくださって、ありがとうございました。塾の友だちはいつもいい雰囲気を作ってくれていました。ありがとう。勉強の相談もできて心強かったし、楽しかったです。そしてお父さん、お母さんにも感謝しています。いつもお弁当を作ったり、迎えに来てくれたりしてありがとうございました。みんなのおかげで合格できたのだと思います。本当にありがとうございました。
2023年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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水谷 太要さん | 草津教室 |