東大寺学園中学校
合格-2015年度
成せば成る
ぼくの将来の夢は、アナウンサーになって、災害のときなどに、みんなを元気づけることです。この仕事を選んだきっかけは、まだ「夢」について考えたこともなかった頃に、音読がうまいと言われたことがあったのを 思い出し、話す仕事についてみたいと思いました。そして、「話す仕事」というと、アナウンサーだなと思ったからでした。あまりにも単純だと思うかもしれませんが、本当です。
ぼくが成基学園に入ったのは、四年生のときでした。たまたま受けたテストがきっかけで塾に入ったということもあり、そのころはまだ「受験」という言葉は頭になく、ただ、おもしろおかしく勉強をしているという感じでした。そんなぼくが、「東大寺学園」を志望校に決めた理由は、いくつかあります。まずは、夢へと近づくための理想的な実績があったこと。さらに、家から近かったことや、校風が自由だったこと、好きなテニスが有名なこと。それらの理由が重なり合って、「東大寺学園」合格を目指そうと思いました。
しかし、ぼくは、ふざけた雰囲気のまま、五年生を迎えてしまいました。範囲が決められている〈オープンテスト〉でさえ、ほとんど勉強もしないという始末。そのせいで、〈オープンテスト〉ではずっと 六十、七十位台をうろうろしていました。それでもぼくは、危機感を持たずに、効率の悪い勉強をし、宿題をしているだけでした。
そのまま、時間だけが過ぎていき、ついに六年生の夏休みになりました。夏休みに入ってしばらくすると、ずっと先だと思っていた〈夏期学習合宿〉がありました。そこでぼくは、とても一生懸命に勉強している友だちを見て、(このままでは落ちるんじゃないか……)と思い、少し受験に対する考え方を見直すことができました。九月には、〈日曜進学教室(日進)〉が始まりました。〈エントランスコース〉のころはほぼ毎回ベストテンに入っていたものの、〈ベーシックコース〉になると、 二回に一回しかベストテンに入れないようになり、〈ウルトラコース〉になると、ついに全くベストテンに入れなくなってしまい、二十位前後の点数しかとれなくなってしまいました。元々苦手だった算数と理科は、四十~六十点台がずっと続いていました。第二十回でも、十九位という順位で終わってしまい、算数は一度もベストテンに入れないという悲惨な結果に終わってしまいました。
そして冬休み、ぼくはやっと、このままではまずいという大きな危機感を持ち、目の色を変えて、勉強に取り組み始めました。間違い直しに重点を置き、得意な文系は、ほとんど勉強をしませんでした。豪雪に見舞われた〈正月特訓〉を終え、最後の復習もしっかりとしました。入試の前日は、ほとんど勉強はせず、暗記カードを見たり、運動をしたりして過ごしました。
入試の当日、会場では、社会の資料集をながめていました。時間があったので、ほぼ全ページ確認することができ、また、確認していたところから問題が出たのでよかったです。このような生活にも関わらず、第一志望校に合格できたのは、ぼくを支えてくださった先生方や家族がいたからだと思います。あの手この手で、ぼくの健康管理をしてくれたり、ご飯を作ってくれたり、ぼくを塾に行かせてくれたり……。数え始めるときりがないぐらいのことをしてくれた家族。そして、受験だけでなく、今後の人生にまで活きるようなアドバイスや、たくさんのプリントをつくってくださったメンターのみなさん。とても感謝しています。本当に、本当にありがとうございました。これから生きていく中では、これより辛いこともたくさんあると思いますが、自分を信じ、そして、最後まであきらめることなく、夢に向かってがんばっていきたいと思います。
2023年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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水谷 太要さん | 草津教室 |
2015年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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J・Sさん | 知求館 |