灘中学校 | 合格への道のり、そして志に向かって【中学受験-合格体験記】|成基学園-受験指導と志共有の学習塾

灘中学校
合格-2024年度

わたしの志は、

鉄道デザイナーになって、さまざまな列車や駅をデザインし、世界中の人々にいこいの場を提供することです。

あるデザイナーを知り、その人のような素晴らしいデザインをして、人々の役に立ちたいと思い、この志にしました。ぼくは志を果たすために、思いついたデザインを絵としてかきつめたり、鉄道を使った旅に出て見聞を広めたり、そのデザイナーの本をよんだりしてきました。志にむけて、中学・高校・大学では鉄道の設計に必要な力を養い、その後はそのデザイナーが主さいしているデザイン事務所に入ってデザインの勉強をしていきます。

合格への道のり、そして志に向かって

ぼくが入塾したのは、4年生のときです。いろいろな塾の入塾テストや体験授業をうけた結果、一番授業が楽しく、分かりやすかった成基学園に入ることにしました。しかし、入塾したころは、私立小学校に通うために当たり前のように受験することになっていたので、まだ受験を意識しておらず、塾が楽しかったために、ただただ通っている状態でした。

灘中学校に行きたいと思ったのは、4年生の夏ごろです。О先生と母の面談の際に灘中の名前が出てきて、ぼくも目指そうと思えば目指せるのだと思ったのが始まりでした。その後、灘中について知るにつれ、ここならば日本一レベル高い勉強をすることができる上に、鉄道などの好きなことも徹底して楽しむことができるので自分の志に近づくと思いました。また、自由な校風や、生徒中心であることにもひかれました。

灘中を本気で目指すようになっても、国語で灘中対策の教材を追加しただけで、それ以外の教科は今まで通りでした。それどころか、算数については悪循環におちいってしまっていました。そして、ついには必須の宿題までおいつかなくなってしまいました。そこで、その日からは心を入れかえ、追加課題をどんどんすすめるようになりました。

5年生になると、国語科がI先生となり、4年生から引き続きやってきた課題がおわると、他の人より先にいろいろなテキストや入試問題を進めるようになりました。そのおかげで、国語は4年生のときよりもできるようになっていきました。しかし、算数は必須の宿題と3教科なので、その分でやるものとしてもらっていたわずかな追加課題しかやっておらず、それもかなり適当にやっていたためにどんどんできなくなっていきました。これが後で悔やむ原因になってしまいます。理科はある程度はできたものの、基本がぬけていることもたまにありました。

6年生になっても算数が全然できず、スタートダッシュ講座の最初の授業で時間の使い方をまちがったために叱られたこともありました。また、金曜日にあったY先生が社会の時間を使ってやって下さっていた灘特訓でも合格点を30点~40点も下回り、毎週くやし泣きをしながら厳しい指導を受けていきました。

最難関特訓の第1回の担当がY先生だったのですが、その時に同じSSS教室の全員算数がボロボロで、その次の日に算数をどうにかしなければならないと話され、算数の大切さをしみじみと感じました。 

その日、ぼくは灘中模試の結果が返ってきた日でもあり、その模試も悪かったので、二重で感じることとなりました。しかし、5月ごろにはこれまでがんばった成果が出始め、灘中模試で算数をB判定まであげることができました。しかし、5月は調子がよかったものの、6月下旬ごろから7月中旬にかけて算数が悪くなってしまい、土曜日・午前中の灘特訓では灘を本当にうける気があるのかといわれる始末でした。7月下旬には、夏休みの課題の進みが全員遅かったために叱られた日もありました。

9月に入り、算数でも入試問題演習がはじまると、かなり悪くなるときが出てきました。特に甲陽学院中学の入試問題は差が大きく、合格者平均を割ることもありました。それでも、それぞれの回の反省点・改善点を考え、次の週の甲陽中では高得点がとれるように考えていきました。

一番失敗したテスト、それは、紛れもなく日進ウルトラ第2回でした。その時、Y先生の合格ラインである80点よりも約30点も下回ってしまいました。その時、灘中ではなく洛星中学前期に変更せよともいわれました。その後、数日間厳しい指導を受けて、何とか持ち直すことができました。

12月を無事に過ぎて、1月になると、緊張もどんどん高まってきました。1月8日の北嶺中学校の前日にはかなりの緊張になり、夜もあまり眠れなくなりました。しかし、ここで一度受験をしたことで、本番での気持ちのコントロールが上手くなりました。ただし、北嶺中の算数が悪かったためにY先生に叱られました。今思い返すと、それが最後のY先生から受けた最後のお叱りだったと思います。いつしか叱られることも、勉強の一つと感じられるようになっていました。これだけ叱られたんだから、大丈夫だと思いました。

12日の夜、13日の朝は再び緊張が高まりました。しかし、激励にきて下さったY先生のおかげでいくらか緊張もやわらぎ、14日にはあまり緊張せずにうけることができました。北嶺中で学んだことを活かすことができたと思います。

今回の受験では、結果だけでなく、それ以外にもいろいろなことを学ぶことができました。今最も感謝しているのは、算数をきたえあげ、さらには他教科や精神面でのサポートまでして下さったY先生です。そして、塾に通わせ続けてくれた両親、I先生をはじめとする各教科の先生方、SSSの受付で応援して下さった先生方に本当に感謝しています。ありがとうございました。

保護者からのコメント

保護者名 柳野 文恵

まず初めに、「何度失敗してもそこから学ぶことの尊さ」を教えてくださいましたことに、心より感謝を申し上げます。信一郎もその教えを忘れることなく、歩んでいくことと思います。入園以来、SSSから帰るとその日の授業内容について大興奮で話してくれました。知的好奇心を刺激されての何とも幸せそうな目の輝き、SSSへ通うこと、SSSの先生方の下で学ぶことって何て楽しいんだという高揚感、それは受験日までずっと変わらず、こんな幸せな受験生は他にはいないのではと思ったほどでした。成基の最高峰の先生方が授業外にも惜しみなく全力で問題解決に時間を割いてくださり、集団と個別のハイブリッドという贅沢な教育環境に子どもを委ねることができましたこと、親としても本当に幸せだったと思っております。受験を終えてからも、「志実現に向けて進んでいこう」と決意を新たにしている姿に、成長を感じております。ここまで育ててくださった先生方に、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

担任からのコメント

いま、この文章を書きながら、5年生時の柳野君の「サボりまくり」の状況が鮮明に頭の中で再生されています。5年生時はショートテストのみの担当でしたので、柳野君とは関りもまだ浅く、まずは課題を渡し様子を見ていこうと考え、「1か月で仕上げてや!」と指示を出しました。
この課題を完成する日がまさか1年後になろうとは……。
「本当に灘中を受けるの?」そんな不安な気持ちで始まった6年生でしたが、この1年はどんなに厳しい対応をしても絶対に灘志望を変えず、歯を食いしばって頑張り続けてくれました。
お母様にもお話したことですが、受験当日、灘中の試験会場に入っていく彼の背中を見て、「大きくなった!」と頼もしい気持ちになりました。
見事に合格を勝ち取り、SSS教室に来てくれたとき、仲間たちの合否を気にして、目一杯喜ぶことはありませんでしたね。そんなやさしい君を心の底から尊敬します。
柳野君をはじめ6年生のこのメンバーと頑張れたことは先生の一生の宝物です。
最後に一言、
「信一郎、本当によく頑張った!灘、開成、東大寺、西大和、北嶺の合格、お見事でした!」

山口哲司

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