灘中学校
合格-2021年度
医者になって病気で困っている人を救うことです。
先生に志を聞かれたとき、人を救いたいと思いました。人を救う仕事はたくさんあります。ぼくはその中で、直接人を救うことができる医者になることを志としました。志を決めたことで、なぜ勉強をするのかということがはっきりしました。だから、中学生になってもその志に向かってがんばります。
志に向かって
僕が成基学園に入塾したのは、三年生の四月でした。入った理由が、これまでやっていたそろばんのかわりでというものだったので、受験をしようとさえ思っていませんでした。だから、成績も安定していませんでした。
しかし、塾に通っているうちに、勉強が楽しくなってきました。毎月の〈オープンテスト〉で良い点をとりたいと思うようになりました。だから、算数を連続で一〇〇点をとることができたときは、うれしかったです。
四年生の終わりに、志共育講座を受けました。人を助けたいと思ったぼくは、直接人を助けられる医者になることを志と決めました。
志を決めてからは、オープンテストで良い点数をとるために勉強するのではなく、志をかなえるために勉強すると思えるようになりました。
医者になるには、大学に入らなければなりません。大学に入るためには受験をしなくてはならないので、良い先生の授業を受けたいと思いました。
いろいろな学校の学校説明会に行きました。その中で、灘中学校を志望校としました。せっかくなら最難関の学校を目指そうと思ったし、文化祭のふんい気が自分に合っていると感じたからです。
志望校が決まって、やる気も上がってきました。しかし、そのやる気とは逆に、成績は下がっていきました。決して授業についていけてないわけではないのですが、ところどころのミスが増えてしまいました。特に国語の漢字や接続語といった簡単な問題のミスは多かったです。
このような悪い成績が一年ほど続きました。そんなとき、算数科のY先生にミスについて叱られました。僕はそれを受けて、「やってやろう」と思いました。それからは、ミスをなくすために演習を増やし、第五回の〈日曜進学教室(日進)〉の算数で一〇〇点をとることができました。久しぶりのことだったので、うれしかったです。
それからは、算数は安定してきました。でも、苦手だった国語は〈日進〉でも八〇点をこえることはほとんどなく、六〇点くらいのときもあるほどでした。僕の志望校は国語の配点が大きいので、何とかしないといけないとは思っていましたが、どうすることもできませんでした。
そんなとき、国語のI先生がとき方を問題別にていねいに教えてくださいました。そのおかげで、過去問では、合格点をこえる点数をとることができるようになりました。国語が苦手だという思い込みはなくなり、自信に変わりました。
本番の一日目、緊張していたぼくにY先生は、「大丈夫だ。」と言ってくださいました。そのおかげで、少し落ち着くことができました。一日目の試験が終わった後、となりにすわっていた成基以外の塾に通っていたらしい受験生が、「あの問題の答えはこうだ。」と言っていて、不安になりましたが、やはりY先生が、「気にしなくていい。」と言葉をかけてくれました。そのおかげで、二日目を落ち着いて試験に臨むことができました。
合格発表の日、父と母、そして祖父と学校の体育館に行きました。友だちの受験番号はすぐ見つかって喜ぶと同時に、こわくなっていました。すると母が僕の受験番号を見つけたと教えてくれました。そのときはうれしくて仕方ありませんでした。そして、これまでがんばってきて良かったと思いました。
僕が第一志望校に合格することができたのは、先生方がサポートしてくれたからに違いありません。もし先生方がいなかったら、きっと合格することはできなかったでしょう。
また両親も、毎日弁当を作ったり、送りむかえをしたりしてくれました。本当に感謝しています。
僕を支えてくれた方々に応えるためにも、これからも、四年生のときに決めた志のことを忘れず、それに向かって全力をつくしていきます。
2024年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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柳野 信一郎さん | SSS(烏丸二条) |