神戸女学院中学部
合格-2016年度
合格への日々
私の将来の夢は、世界中の病気で苦しむ人たちが、笑顔になれるように助けられる医師になることです。そのために、神戸女学院で中学・高校生活をおくりたいと思いました。
私は小学四年生のときに、塾に入りました。理由は、学校の友だちが通っていて楽しそうだったからです。宿題の量は思っていたより多かったけれど、とても楽しく授業を受けていたと思います。
十一月、知り合いの方から教えてもらって、他校の入試説明会に行く予定を変更して、神戸女学院のキャンパス見学会に行きました。自由な校風でとても気に入り、何でも自分で行動できそうだったので、神戸女学院中学部を第一志望校としました。しかし、当時の私は、そこまで学力は高くなかったので、五年生からはもっとたくさん勉強しようと思いました。
五年生になって、〈最難関特訓〉に行きはじめました。最初は、全然問題が解けなかったり、解説の意味もわからなかったりしたけれども、だんだん慣れて解けるようになりました。
また、オープンテストでA判定をとるためにテスト前は勉強しました。とくに、社会の成績がよくなかったので、ノートに覚えていない分野をまとめました。オープンテストでは、A判定ギリギリだったので、六年生ではもっともっと勉強しようと思いました。
六年生になって、急に宿題の量が多くなって、大変になりました。慣れない授業時間と宿題の量のため、三月に体調をくずしてしまいました。母には、「慣れたら大丈夫。」 と言われたので、私はそうだと思いました。実際、慣れると体調をくずさなくなりました。四月、〈最難関特訓〉が九時間近くあり、疲れました。授業内容も難しくなり、大変でした。でも、神戸女学院中に行くためには、がんばらなくてはと思い、努力しました。
六月になって、〈日曜進学教室(日進)〉がはじまりました。〈最難関特訓〉・〈日進〉のクラスが下がってしまい、くやしかったのでがんばったところ、A判定を余裕でとることができ、うれしかったです。
夏になって、〈夏期講習会〉が始まりました。朝は来て自習、昼は講習を受けて、夜も自習と、約十二時間近く塾にいることもありました。しんどいと思ったこともあったけれども、自分と同じように、それ以上に勉強しているクラスの友だちもいて、「自分もがんばろう」と思うことができました。
夏には、〈夏期学習合宿(合宿)〉もありました。〈日進〉でがんばったおかげで、一番上のクラスに入ることができました。授業内容は理科が一番難しく、夜には質問に行って教えてもらいました。夜の自習時間では、その日の復習は終わらせられず、〈合宿〉後に家で復習をした教科もありました。
夏の終わりごろに買ってきてもらった、神戸女学院中の過去問を解きました。全然点がとれず、がっかりしました。でも、「まだあと四ヵ月少しある」と思い、あきらめませんでした。
九月からの〈日進〉の成績は少し下がってしまい、「これではだめだ」と思いました。なので、塾のない日は約五時間、自習に行きました。また、〈土曜最難関特訓〉もはじまりました。〈最難関特訓〉と違い、速く正確に問題は解かなくてはならず、しかも難しい問題だったので、正解した問題が少なくなりました。復習にも時間がかかりました。でも、いろいろな問題を解くことができ、自分のためにはなりました。
過去問も、本格的に解きはじめました。最初は全然解けなかったけれど、だんだん点が取れるようになりました。十月からは〈日進〉が《ウルトラコース》になり、とても難しくなりました。A判定ギリギリのときもあったけれど、一度、十三位をとることができて、自信がつきました。
一月に〈正月特訓〉があり、一番上のコースでした。内容は難しく、復習に時間がかかりました。でも、いろいろなことを教えてもらえてよかったです。
受験当日は、教室内に勉強道具を持ちこめず、何にも集中できなかったので、試験までは緊張しました。けれど、問題を解きはじめると、いつもどおりに解くことができました。
発表の日は、学校を早退して、家で神戸女学院中のホームページを見ました。結果を見るまで緊張したけれど、「合格です」と書いてあり、とてもうれしく、すぐ塾に連絡しました。今まで努力してきてよかったです。
私は、合格することができたのは、両親、授業をしてくれた先生方、つらかったときに支えてくれた友だちのおかげだと思います。また、私はとても恵まれているな、と思いました。
その人たちへの感謝を、私は夢を叶えて人を助けることで返していきたいと思います。
2015年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
---|---|---|
S・Sさん | 茨木教室プライム |