同志社高等学校 | 質問と復習で掴んだ合格【高校受験-合格体験記】|成基学園-受験指導と志共有の学習塾

同志社高等学校
合格-2024年度

𠮷川 祐生さん

わたしの志は、

国益のために働く政治家になることです。

僕は日本は本当に素晴らしい国だと信じています。ですが、たくさんの本を読んでいると日本の経済状況は悪く、また国際地位も下がっている。そしてこれはますます悪くなっていく。けれど、僕はこんな日本の未来にはしたくありません。失われた30年を取り戻し、日本の若者達が希望を持って日本で生きる、そんな未来をつくりたいです。若者を中心とする政治体制をつくり、活気ある日本にするためにもこれから色々な経験をしたいです。

質問と復習で掴んだ合格

僕が成基学園に入塾したのは中学2年生の時でした。中学1年生の時から部活動で所属していたラグビー部での練習がきつく、また学校の定期テストも高得点を取っていたので「塾に行かなくていいや」とずっと思っていました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。部活がしんどく勉強を疎かにしてしまった結果、学校の定期テストでも点数が取れなくなってしまいました。そこで、母と相談し、成基学園に通い始めました。入塾テストの結果は上位クラスでした。

中学2年生の夏休みから始まった塾と部活の両立。その厳しさは僕の想像を絶するものでした。午前中は灼熱の太陽の下ラグビーをし、帰宅してすぐにシャワーと食事を済まし、炎天下の中、塾に急ぐ。さらに、授業の内容は全く理解出来ないまま、中学2年生の夏休みは終わりました。当時は、周りの人達がとても賢くて、「本当に追い付けるのか」とほぼ毎日不安に感じていました。成基学園に通い始めても、家では塾の宿題だけし、あとは遊んでいました。もちろん、成績は一向に伸びませんでした。

中学3年生の夏期講習が始まりました。この第一志望校は京都市立紫野高等学校アカデミア科でした。担当のW先生からは「今のままならアカデミア科も普通科前期も厳しい闘いになる」と言われる程、学力が追いついていませんでした。

夏期講習が始まった途端、ハードなラグビー練習のせいで右鎖骨を折り、手術までする大惨事となりました。しかし、このお陰で、講習会中に一日中勉強できる忍耐力がつきました。なぜなら誰も味わったことがない痛さと苦しみを十分経験し、また母が不自由な僕を支えてくれて、無事に乗りこえれたからです。

この夏期講習は僕にとって一生の宝物になりました。なぜなら、僕より賢い人達と友達になり、自分1人だけ出来ないことが恥ずかしかったので、必死になって勉強しました。また、F先生に夏期講習後、夜までスマホを預かっていただき、集中して勉強できる環境を作ってもらいました。忍耐力に加えて一日中集中して勉強机に向かい、勉強する習慣を作り上げることができました。夏休みは毎日、午前中の講習会と自習合わせて10時間以上勉強していました。

夏休みが終わり志望校を変えたいと思い始めていました。なぜなら、同志社高等学校のオープンキャンパスに行った際、自由な校風がすごく僕と合っていて、とても魅力的に感じたからです。この頃日曜進学教室(日進)が始まりました。この日進が僕に復習の大切さを教えてくれました。一回目の結果は同志社高校のボーダーに程遠く、紫野高校アカデミア科にも届いていませんでした。しかし、僕はあきらめずに日進の間違え直しを徹底的にやりました。すると6回目くらいから同志社高校の合格ボーダーにほぼ毎回のるようになりました。結果が少しずつ良くなり自信がついた僕は各先生方にどのように勉強すればよいかを何度も聞きに行きました。例えば、英語は基礎の文法が抜けているとF先生に言われたので先生に薦められた文法テキストを2回したら、日進の50位以内に入り、自信が持てる教科になりました。11月頃に担当W先生に改めて三者面談をしてもらい、同志社高校を第一志望校にする決断をしました。

同志社高校を第一志望にしたため、滋賀県の光泉カトリック高等学校を受験しました。この受験のおかげで、油断の怖さと見直しの重要さに気付きました。僕は同志社高校とほぼ同じレベルのSコースを目指していました。入試問題も僕なりに簡単だと感じていましたが落ちてしまいました。なぜかというと、僕が油断していたからです。また、見直しもしっかりとはしていませんでした。なので、同志社高校の入試の時は、当たり前だけれど、油断せず見直しをしっかりしようと決め、本番を迎えました。僕は今まで頑張ってきたことを信じて、焦ることなく試験を受けました。後悔の思いは何一つありませんでした。2月13日に郵送で届いた封筒には合格の2文字がありました。母と2人で泣きながらとびあがって喜んだのを今でも鮮明に覚えています。僕を支え続けてくれて無事に合格させてくれた先生方、一緒に切磋琢磨し頑張ってきた仲間達にとても感謝しています。

僕が合格できた理由はふたつあります。1つ目は分からない所はすぐに先生方に質問すること。間違ったやり方で勉強しても絶対伸びません。正しい勉強法を先生方に聞いたから伸びました。2つ目は復習です。日進・過去問・講習会のテキストを徹底的にやりつくしました。

受験生の皆さん。あきらめずに努力すればいつか必ず夢は叶います。みなさんも質問と復習を継続してそれぞれの夢を勝ち取ってきて下さい。

保護者からのコメント

保護者名 𠮷川 有紀子

色々な中学から通っている生徒が多く、授業も背すじが伸びるような緊張感があることが理由で中学2年から成基に入塾しました。
ラグビー部でしたので部活と塾の両立に苦労していました。泥まみれで帰宅し、シャワーと夕食をダッシュで済ませ塾へ行く生活でした。疲労で宿題が出来ないことも多々ありました。
忙し過ぎて勉強の手応えが無いまま3年生になり、限られた時間の中で努力をしているのに成果が出ない状況に苦しんでいました。その間は「0から1が一番苦しい」と「鳥の成長曲線」の話をして励ましていました。
転機は夏期講習でした。ハードなスケジュールを乗り越えた自信とクラスの友人達からの良い刺激と先生方との信頼関係が、祐生を大きく成長させてくれました。先生方はいつも誠心誠意、全力でサポートと指導をして下さいました。祐生は塾が大好きです。成基学園でなければ同志社高校合格はあり得ませんでした。

担任からのコメント

祐生君、第一志望校合格おめでとうございます。決して平坦ではなかった道のりを、最後まで目標に向かって歩み続けたその努力はすばらしいものでした。中3になって新しいクラスでの授業が始まり、周りのみんなが少しずつ受験モードになっていく中、まだまだのんびりしている祐生君に先生たちの方が焦りを感じていたかもしれません。さらに、ケガや手術もあって、本人にしかわからない重圧もあったかと思います。それでも、自分の現在の実力から目をそらさず、謙虚になって、うまく仲間を頼って努力を続ける姿に期待を寄せていました。9月になって日進が始まった頃は、思うようには点数が取れていませんでしたが、秋から冬にかけて間違いなく実力を伸ばしていることがわかるくらいに結果も出してくれました。面談でもお母さまの支えを強く感じながら、同志社高校合格への決意を見せてくれたことを強く覚えています。また会える日を楽しみにしています。

渡邊 寿郎

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