合格体験記(2012年度)
東進衛星予備校に通い難関有名大学に合格した方々の感動の声をご紹介!
忙しい中でも東進を上手く使えば十分に勉強できるのです。
京都府立医科大学 医学部 医学科
杉江 啓輔さん
京都市立 堀川高等学校
この春、僕は、京都府立医科大学医学部医学科に合格しました。合格したことが分かったとき、合格したという喜びは多少はありましたが、これから医師になるのだという責任感と、医師になるために医学を学ぶのだという高揚感の方が大きかったと思います。
僕が東進に入塾したのは、まだ高校受験を終えたばかりの中三の三月でした。
この頃は高校での勉強に燃え、意欲を持って勉強していました。しかし、そんな意欲も高校に入学してすぐになくなっていき、ほとんど勉強しなくなりました。
僕は高校受験で難関と呼ばれる高校に合格したという自負を持っていたので、勉強しないことに危機感を感じませんでした。こうして、勉強しない日々を送っていた僕の成績はどんどん落ちていきました。
しかし、十月頃にさすがにまずいと思い、勉強を再開し、高二になるまでに何とか成績を元に戻すことができました。
受験において大切なことの一つは、危機感を感じるということだと思います。
成績が落ち続けているときに危機感を感じなければ、成績が元に戻ったり上がったりすることは決してありません。できるだけ早く危機感を感じるようにしてください。
高二になると学校にも慣れてきて、部活も忙しくなり、勉強に対する意欲が少しずつ減っていきました。
そんな中でも何とか勉強をするように、宿題も多めに出してもらい、継続的に勉強するように心がけました。
今思えばこのことは、
勉強をするという習慣を馴染ませるのに効果的だったと思います。
高二の間に、勉強する習慣をつける。
それは、高三の受験勉強において重要になってくるので、高三までに勉強する習慣をしっかりつけてください。
僕が進路を医学部にしたのは、高二の九月頃でした。
それまでは京都大学工学部志望だったのですが、夏のオープンキャンパスに行って、自分が思い描いていた工学部の姿との大きなギャップを感じ、また、
より直接的に人の役に立つことをしたいと思い、志望を医学部へと変更しました。
進路を決める際に、その進路先の学部がどのような学部なのかを身をもって感じることのできるオープンキャンパスはとても重要です。だから、
ぜひオープンキャンパスに行って、自らの進路先の学部を吟味してください。
志望を医学部に変更してからは、より高いモチベーションを持ちながら勉強に励みました。
高二の夏休みが終わってから、受験を意識して勉強に勤しむことはとても大切です。なぜなら、大抵の人が高三から受験を意識し勉強を始めます。もし、高二の夏休みが終わってから受験勉強をし始めれば、大勢の受験生と比べて半年という大きなアドバンテージを得ることができ、余裕を持って勉強をすることができるからです。
だから、
高二の夏休みが終わると受験生であるという自覚を持ってください。
高三になり、僕は京都府立医科大学よりもランクの高い京都大学を第一志望校としました。このとき、志望校を京都府立医科大学のままにしていれば、合格できていたかどうかは定かではありません。
受験の際には合格最低点ギリギリではなく、合格最低点を余裕で超える点数を取ろうと考えることは大切だと思います。
余裕を持つことは受験の必勝法です。余裕のある受験生とない受験生とでは、受験の際の精神状態は雲泥の差です。精神状態は直接的に合否を左右します。
落ち着いて受験を迎えるためにも、ワンランク上の目標を掲げて勉強し、余裕を持ってください。
高三の秋からはとにかく量をこなすため、多くの問題をこなし、京大の過去問もやりはじめました。受験の最終段階になると、量をこなすことによって経験を積むことと自信をつけることがとても大切になってきます。
赤本も自分の受ける大学だけでなく、他の大学のものもやればいいと思います。
僕は京都府立医科大学の赤本の他に、京都大学、大阪大学、東京大学、東京工業大学の赤本をやりました。高三の九月以降はぜひ、多くの問題を解いてください。
この受験録を読む限り、勉強ばかりしていたように見えますが、決してそうではありません。
部活はキャプテンをしながら、ほぼ毎日行っていましたし、文化祭でも高一、高二で監督をやりました。
こんなに忙しい中でも東進を上手く使えば十分に勉強できるのです。東進を上手に使って、勉強に励んでください。
受験は、一人でやるものではありません。
家族、友人、学校の先生、東進のスタッフ、さまざまな人々と一緒にのりきるものです。
そのことを忘れずに、がんばってください。
行けたらいいなという気持ちから、行きたい! という気持ちに変わりました。
京都大学 工学部
嶋田 洋成さん
京都府立 嵯峨野高等学校
僕が東進に入ったのは、高校三年生の五月でした。
小学生の頃から、建築家になりたいという夢を漠然と持ちながら、とりあえず国公立の建築学科に入れれば良いという、軽い気持ちで淡々と日々の勉強をやっていました。
部活をやっていた頃は、下校すると疲れていたため、毎日二時間ほどしか勉強をしていませんでしたが、部活を引退すると放課後に多量の時間が生まれるので、その時間を有効に活用したいと思い、引退と同時に東進に入塾しました。
またその頃、目標は高いほうがいいだろうと思い、どうせなら、という気持ちで京都大学を志望しました。このときは京大への憧れもこだわりも、ほとんどありませんでした。
入塾当初は週三日ほど利用するつもりでしたが、東進に来ると自習室があり、
周りの人たちががんばっている姿を見るので予想以上に勉強がはかどり、かつ快適な環境だったので、毎日来るようになりました。
僕は英語が悲惨で、数学に対しても苦手意識があったので、英語と数学の授業をとりました。
英語は、今井先生のB組と、福崎先生のストラテジーをとったのですが、とても面白い授業で、授業を受けるのが待ち遠しいほどでした。数学は長岡先生の数学ぐんぐんを受けたのですが、スピードが速く大変でした。しかし実力の伸びを実感できました。
東進の授業を受けて高速基礎マスターをやっていたためか、一学期に英語の成績が爆発的に伸び、最も苦手な教科から、最も得意な教科と言えるまでになりました。
また、その他の教科についても、学校帰りに東進に寄って最後の時間まで勉強して帰るというリズムが確立していたため、十分な勉強量をこなすことができ、じりじりと成績が伸びていきました。
七月頃になって、真剣に進学先について考えるようになり、いろいろな大学の建築学科を調べました。
魅力ある大学はいくつかあったのですが、京大の建築は格別でした。他の大学にはない面白そうな授業や充実した設備、熱意のある雰囲気に、
行けたらいいなという気持ちから、行きたい! という気持ちに変わりました。
この気持ちが、夏からの僕の勉強を後押ししてくれました。
ただ、無謀に近い挑戦でした。
模試ではC判定以上を取ったことがなく、周りの京大志望者と比べて、学力が明らかに劣っていました。
しかし、
どうしても京大に行きたかったので、何とかなると楽観的に考え、京大に向けてとにかく勉強しました。
夏からは質より量だと思い、とにかく量をこなしました。夏休みは毎日、朝から晩まで東進に籠もりました。多量の勉強をこなしたおかげで、夏以降の模試ではしばしばC判定を取るようになっていき、B判定を取ることもありました。確かな実力の伸びを実感しました。
秋からは、過去問演習講座や、二五カ年シリーズを用いて過去問を解き始めました。
最初はひどい点数でした。現実を思い知らされショックを受けましたが、ここまで来たらやるしかないと思って勉強しました。
過去問で自分の弱点を発見して、それを補強し、また過去問を解く、という作業を繰り返しました。
見るに堪えないひどい点数をとったときも何度かありましたが、本番でなくて良かったと思い、できなかったところを補強していきました。センター後もそれをひたすら行いました。
その頃は必死であまり分からなかったのですが、今思えば、
この頃にぐんぐん実力が伸びていったことに気づきます。
試験本番は緊張のあまり、普段通りに問題を考えることができませんでした。自信はなく落ちたと思いました。
合格発表の日、自分の番号を見つけて驚き、すぐに受け入れることができませんでした。昔の自分からは、到底想像できなかったからかもしれません。
この合格は、一年間自分の実力がどんどん伸び続けることがなければ、ありえないものでした。この伸びを支えたものは、京大へのこだわりと勉強量だと思います。
家ではなかなか勉強できなかったので、極力東進に来て、東進にいる間は集中して勉強できたことが、多くの勉強量をこなせた要因でした。
東進に通うことを苦痛だと思うことはありませんでした。毎日、コンビニでジュースやコロッケを買って東進に行くことが楽しみだったし、担任助手の方々や友人としゃべるのも楽しく、授業も楽しかった。
こんな環境だったからこそ、毎日東進に通い続けることができ、結果的に合格へとつながったのだと思います。
受験においては、とにかく量をこなすこと、気楽に勉強をすることが大事だと僕は思います。
量をこなしていけば自然と質は高まっていくと思うし、成績を伸ばすには、他人より多くがんばるしかないと思います。ただ、勉強し続けることは大変なことで、思うように問題が解けなかったり、思うように成績が伸びなかったりするものです。気負いすぎると勉強が嫌になり、量がこなせなくなります。
だから、模試は模試と楽観的な気持ちや、まあいいや何とかなる、といった気持ちは大事だと思います。先程述べたような楽しみを見つけることも大事だと思います。
毎日東進に来るのが楽しみで、東進に通うことで自然と多くの勉強量を確保できたことや、週間面談や東進の仲間の存在によって、モチベーションを維持できたことは最高の結果を得られた大きな要因でした。
本当にありがとうございました。
意識の高い人たちに刺激をもらえるのは、東進の大きな魅力だと思います。
京都大学 工学部
大澤 真之さん
同志社高等学校
私が東進に入塾したのは、高一の十二月でした。
大学附属の中学・高校に通っていた私は高校入学後、大学ではより高いレベルで勉強がしたいという漠然とした思いから、他大学を受験することを決意しました。
中学時代にまったく勉強をしてこなかったことに加え、高校の授業の進度が非常に遅かったため、部活には入らずに人より多く勉強して、遅れを取り戻そうと思っていました。
しかし、東進入塾前に通っていたある塾では、授業が始まるのが夜になってからで、それまで自習している日もありましたが、大抵は帰宅部の友だちと放課後遅くまで学校で遊んでいました。これでは部活に入らなかった意味がないと思い、
学校の授業終了後、すぐに授業が受けられる東進に入塾したのです。
入塾後、しばらくは週五日ほど東進に通い、毎日二時間くらい自習をしていました。
ところが、高二の六月頃から放課後は毎日遊びまくり、休日もだらだらすることが多くなってしまい、勉強は好きな教科しかやらないようになってしまいました。
そのまま、貴重な高二の夏休みも無駄にしてしまった私は、八月末の模試で思うように成果をあげられませんでした。
その一方で東進には、夏休みに朝から晩まで勉強して、八月末の模試で飛躍的に成績を伸ばした人もいました。掲示板の得点ランキングで彼の成績を目の当たりにした私は、自分の甘さを反省し、今度こそ勉強に本腰を入れようと決意しました。
このように
意識の高い人たちに刺激をもらえるのは、東進の大きな魅力だと思います。
学園祭などで忙しい日が続いたせいもあって、本格的に勉強に集中しだしたのは十一月になってからでしたが、この頃から毎日東進に通うようになり、毎週五〇時間は東進に行くよう心がけていました。
その成果か、十二月のセンター試験本番レベル模試では大きく得点を伸ばすことができました。
このように、センター試験に関しては勉強の成果がすぐに現れましたが(直前対策でもかなり得点が上がりました)、二次の得点はそう簡単には上がりませんでした。
のちに後悔することになったのですが、私は京大の過去問や、同形式の問題による演習を直前まで放っておいたのです。
英語がかなり苦手だった私は、高三の八月に受けた河合塾の京大模試で三割強しか得点できず、さらに得意だった数学でも緊張から大失敗してしまい(たかが模試なのに……)、結果一点差でA判定を逃してしまいました。
周りには、成績優秀者として冊子に名前が掲載されている人もいたので、かなり屈辱感を覚えました。
その一週間後に実施された駿台の京大模試では、英語が三割にも満たず、またB判定に終わりました。
どうしてもA判定を取りたかった私はリベンジを誓い、受けるつもりのなかった十月の駿台全国模試も受験しましたが、ここでもB判定に終わりました。
やはり、二次の英語の力を伸ばす必要があると思いましたが、それでも過去問にはまだ手を付けませんでした。
まだ、過去問で演習するには実力が足りないと思ったからです。
そうして、効果的な対策を何一つしないまま、十一月の第二回京大模試を迎えたのですが、結果は河合・駿台ともに英語が三割を切ってしまい、
「もう十一月なのに……。」
と、焦りを感じました。
数学と理科ができたので、河合の方は奇跡的にA判定でしたが、数学で失敗した駿台は過去最低のC判定。
やはり、波のある数学だけを頼りにするのは危険すぎると思い、
配点も大きい英語の実力アップが不可欠だと痛感しました。
そこで、東進のチューターさんに相談したところ、少々実力不足でも過去問をやるべき、との意見を頂き、ようやく過去問演習をスタートさせ、年明けにはなんとか形になってきました。
後輩のみなさんには、
過去問演習はなるべく早くスタートさせることをおすすめします。
以上のように振り返ると、
「あの時、もっと、◯◯していたらなぁ」
といったようなことを思うこともあり、反省すべき点は多々ありますが、それでも合格できたのは東進の力によるところが大きいと思っています。
ありがとうございました。
後輩のみなさんもこれから先、過去を振り返って後悔することが何度もあるでしょうが、そんなときはしっかり反省をして、すぐに気持ちを切り替え、着実に前進していってください。
みなさんの健闘を祈っています。
私に今できることは勉強しかない、その信念が私を突き動かしたのです。
京都大学 農学部
藤田 剛さん
洛星高等学校
高校三年生になろうとする春、これから受験に挑もうとするときに、あの痛ましい大災害は起こりました。
津波による、かつてないほど甚大な被害、原発事故による目に見えない放射能の恐怖、それらの報道を見て、私はただただ無力感におそわれるばかりでした。
一高校生に過ぎない私には、物的、金銭的援助などできるわけがなく、唯一できそうな被災地ボランティアもまとまった時間がとれず、断念せざるを得ませんでした。
「今、私にできることは何か」
ずっと探し求めたその問いの答えは、意外と近くに見つかりました。
勉強しよう。
被災者の方々の助けになれる自分になるために、京都大学農学部に行こう、そう決心しました。
生命・食料・環境に集約される、多面的な研究教育を展開している京都大学農学部では、被災地が真に必要としているものは何であるのか、幅広い角度から考察することができ、また最難関大学である京都大学では、それを最前線で行うことができると考えたからです。
このように志望校が決まったものの、当時の学力では合格など到底叶わず、理想と現実とのギャップに苦しむ日々の中で、ふと思い出したのが高校の近くにできたばかりの、東進衛星予備校 円町駅前校でした。
いざ見学に行ってみると、温かく力強い校長や、親身に接してくださる担任助手の方々が迎えてくださり、充実したカリキュラム、融通の利く学習システムに心惹かれ、入塾を決意することになりました。
こうして、私の受験生としての一年がスタートしたわけですが、それは順風満帆なものとはいきませんでした。
宿題をこなすだけで精一杯の毎日、思うようには伸びない点数、不安になるときもありました。夏休み明けの模試でD判定を言い渡され、諦めかけたときもありました。
それでも私ががんばれたのは、
勉強だけをしていられる受験生がどれだけ恵まれていて、どれだけ幸せなのか、その確信があったからに他なりません。
世の中には勉強したくてもできない人が大勢います。
言うまでもなく、先の震災の被災者の中にも、私たちと同じ高校生の方もおられることでしょう。
私に今できることは勉強しかない、その信念が私を突き動かしたのです。
また、この一年は数え切れないほど、多くの人に支えられた一年でした。
東進の先生方をはじめとし、ともに悩み、ともに苦しみ、ともに励まし合った、良きライバルであり良き仲間である友人たち。そして何よりも、常に寄り添って温かく見守ってくれた家族。
この場をお借りして感謝の言葉を述べたいと思います。本当にありがとうございました。
さて、これから受験に挑む後輩の人たちに、いくつか伝えておきたいことがあります。
まず第一に、
日々の積み重ねを大切にしてください。
はじめから高みに手が届く人など存在しません。高みとは、足元からコツコツと積み上げていくうちに、気づけば到達しているものなのです。
次に、
過去問を重要視してください。
過去問とは、これまでの受験生が本番で直面した、出題傾向そのものとも呼べる最高の問題集なのです。私は一通りの学習を終えた直前期に集中してやり込んだことで、自信を持って試験当日に臨むことができました。
最後に、
勉強できることに感謝してください。
先に述べた通り、あなた方は、あなた方が考えるよりはるかに恵まれています。
そのことをどうか忘れないでください。
このように私は、第一志望校に合格という、この上ない形で受験を終えることができたわけですが、これは一つのゴールであるとともに、更なる大きな挑戦への始まりでもあります。
これからも環境が変わろうと、揺らぐことのないただ一つの目標に向かって努力を続けていきたいと思います。
震災によって苦しむ全ての人々が救われる、そんな日を迎えられると信じて。
自分の行きたい大学を目指すということはモチベーションのアップにもつながると思います。
大阪大学 医学部 保健学科
木下 友梨子さん
京都府立 莵道高等学校
私が東進に入塾したのは、高校一年生の春でした。
部活動をやりたいけれど、勉強はおろそかにしたくない。そう考えていた私に、東進のスタイルはピッタリでした。
学校の授業が終わったらすぐ部活があり、七時まで練習した後に東進へ行って勉強する、という毎日で、慣れないうちはしんどかったのですが、しばらくすると、
「毎日が充実している」
と感じることができるようになり、勉強するのも楽しくなりました。
これは、東進の居心地の良さと、競い高め合える友人の存在のおかげだと思っています。
私は、バスケ部に所属していました。
休みはほとんどなく、練習もきついメニューが多かったのですが、私は一年生の頃からずっと試合に出させてもらっていて、キャプテンでもあったので、どんな練習も決して手を抜きませんでした。
こうした部活動でのがんばりは、受験勉強にも活かされたと思います。
五月にバスケ部を引退した私は、志望校を上げ、大阪大学にチャレンジしようと決意しました。
高校入学当初から、看護の道に進みたいと考えていて、初めに行きたいと思ったのが大阪大学の看護系の学科でした。
しかし私は、
「大阪大学志望です。」
などと言えるほどの学力がなく、ずっと違う大学を志望していましたが、
「このままでは後悔する。自分の受験は自分の納得のいくようにしたい。」
と思ったので、東進の先生に相談したところ、
「全力で応援する。」
と言ってくださって、すごく勇気が出ました。
志望校を大阪大学に変えてからは、さらに勉強に対するやる気が上がりました。
夏休みは毎日、朝から晩まで東進にこもり、ひたすら勉強しました。東進の合宿にも参加し、すごくいい経験ができました。
やはり、自分の行きたい大学を目指すということはモチベーションのアップにもつながると思います。
私が受験勉強の中で特に力を入れていたことは、過去問演習です。
センター、二次、両方の過去問講座をとり、ひたすら問題を解き、復習しました。模試で時間が足りなくなることがよくあったので、センター直前には、時間を短縮して問題を解く練習をしました。
また、特に数学、国語の点数の浮き沈みが大きかったので、冬休みは毎日、数学ⅠA、ⅡBと国語を一年分ずつ解きました。
二次対策の過去問講座は、取り組むのに時間がかかるので、秋からスタートすることをオススメします。志望校別に対策をすることができるので、すごくよかったと思います。
センター試験はちょうどボーダーラインで、私は迷わず大阪大学に出願しました。センター試験が終わってから二次試験まではあっという間でした。しかし、二次試験が終わってから合否発表までは、すごく長く感じました。
三月八日、母と二人、掲示板で自分の番号を見つけたときは、泣いて喜びました。
私の受験生活の中で、いつも私を支えてくれたのは、母でした。
私の帰りが遅いので、毎日迎えに来てくれました。
私は毎日、母に、
「今日、過去問で点数むっちゃ取れてん!!」
など、いろいろな話をしたり、模試の判定がよかったときもすぐ母に連絡をしていました。
母は、いつも私と一緒に喜んでくれたし、相談にも乗ってくれたりしました。合格したときも、一番喜んでくれたのは母で、本当に感謝しています。
立派な看護師になって、恩返ししたいです。
後輩たちに今伝えたいことは、
「現役生は、最後の一秒まで伸びる」
ということです。
私は、この言葉を信じて最後まであきらめずに勉強し続けました。E判定を取っても、
「まだまだ伸びる。大丈夫。」
と信じ、ひたすら努力しました。単語一つ覚えるのにも、
「この一語が合否を分けるかもしれない。」
と考え、できる限りのことをしました。すると、センター試験のときも二次試験のときも、直前まで勉強していたところが出て、かなりの得点アップにつながったのです。
最後まで粘った結果だと思いました。
私は、東進に入って本当に正解だったと思います。
一緒にがんばれる仲間がいて、生徒のため毎日遅くまで校舎を開けてくださるチューターさんや社員さんがいて、すごく幸せな環境で勉強することができました。
私の受験は、多くの人々に支えられてきました。
関わってくれた、家族、友人、東進のすべての人に感謝しています。本当にありがとうございました。一人では、決してこの合格をつかむことはできなかったと思います。
患者さんを笑顔にできる、立派な看護師になるため、これからもがんばろうと思います。
私が一番気をつけていたことは、量より質を重視する、ということです。
滋賀医科大学 医学部 医学科
野村 啓介さん
滋賀県立 膳所高等学校
高一の頃の成績は、私の夢には程遠いものでした。
私の夢は、医者になることです。
幼いころから、病院に行くたびにお医者さんって格好いいなと憧れていました。医者になりたいという意志が少しずつ固まり始め、高校に入学するころから、医学部を目指していました。
ところが高一のときは、部活や遊びに一生懸命な生活を送り、勉強は完全に疎かになっていました。
このままではいけないと思い、高二の春から東進に通うことを決めました。
当時、高校での勉強に、ついていけなくなりつつある不安から、医学部を諦めかけていたのですが、入塾面談のとき、校長に、
「努力しないで諦めて、後悔しないのか。」
と言われ、受験まであと二年あるんだから、やれるだけやってみようと考え、滋賀医科大学を目指してがんばることを決めました。
入塾当初は、勉強に慣れていなかったことや、部活との両立でとても苦労をしました。毎日、登校しようと努めていましたが、部活が終わったときには、とても疲れていて、塾に行く気になれないこともありました。
でも、
なんとか登校して勉強を続けることで、三年生の受験生活への準備ができたと思います。
高三の一学期は、学校行事や部活などが忙しく、塾に着くのが夜九時くらいになることもありましたが、
高速暗記システムなどを活用し、ちょっとした時間でも勉強をするよう心がけました。
しかし、高三の夏休みに、二つの壁にぶつかることになりました。
一つ目は、勉強しようという気持ちが薄れてしまい、勉強時間が短くなってしまったことです。
それまで、ただ毎日登校をすることで成績が伸び始めていたことが、気の緩みにつながったのかもしれません。
二つ目は、一番の苦手科目である日本史の成績が、全く伸びなかったことです。
夏休みに一番重点的に勉強したにもかかわらず、八月のセンター試験本番レベル模試では四四点という、悲惨な結果になってしまいました。
この二つの問題を克服するため、チューターに相談にのってもらいました。その結果、もっとメリハリをつけて勉強すること、そして、センター試験の社会の科目を日本史から地理に変更することにしました。
日本史から地理への変更に関してはすごく不安でしたが、チューターのアドバイスもあって、講習をとって地理を学習することにしました。
また、
夏休みから二学期の期末までは、講座を利用して徹底的に基礎固めをしました。
発展的な内容をいきなりやろうとしても、基礎ができていないと身につかないし、逆に、できないということに対する不安も出てきてしまうのではないかと考え、まずは基礎の部分から、少しずつ積み重ねていくことにしました。
秋以降は、問題演習に切り替えました。
この時期に、
私が一番気をつけていたことは、量より質を重視する、ということです。
間違えた問題やできなかった問題は、何故できなかったのかを考え、基礎の部分に不安なところがあれば、それを補強していくという作業を繰り返しました。
できた問題でも自分の考え方は正しかったのか、他に解法はないか、といったことを見直し、
とにかく一問一問をじっくりとこなしていきました。
勉強しても結果が思うように出ず、悩んだ時期もありました。でも、くじけずに努力を続けたことが勝因の一つだと確信しています。
また、友人の存在も大きなものでした。やる気が出ないときも、がんばっている友人を見ると、自分もがんばろうと思えました。休み時間に友人と他愛のない話をすることで、気分転換をすることもできました。
合格が分かったときは、自分の今までのがんばりが報われたことに対する喜びでいっぱいでした。
少し時間をおいた今では、自分一人では合格することができなかったという気持ち、そして、感謝の気持ちを抱いています。東進に通うことを許してくれた両親、いつもためになるアドバイスをくれたチューターのみなさんや校長、そして、一緒に切磋琢磨してきた大津石山校の仲間たち、みんなのおかげで合格することができました。
受験はとてもしんどいものです。
ですが、
しんどいのは自分一人じゃなく、みんな同じようにしんどい思いをしています。
これから受験をするみなさんには、自分ができることを精一杯がんばってもらいたいと思います。
この受験録を読んだ人は、僕のふり見て我がふりを直して欲しいです。
京都大学 経済学部
大佐古 凌さん
滋賀県立 膳所高等学校
公認会計士になるという目標への一歩を、京都大学経済学部合格という形で踏み出すことは僕の理想であり、これを達成するための僕の受験生生活の反省点と良かった点を振り返りたいと思います。
部活を最後まで続けていた僕は、周りの人たちと比べて圧倒的に勉強量が少ないことを自覚していたので、夏休みを機に、自分に一つのノルマを設けました。
「毎日六時に起きて勉強する」
夏休みは一日中勉強することができますが、多くの人はこの時期、受験に対する意識も低く、朝起きるのは遅い人が多いです。
だから、
この時期から早い時間に起きて勉強しようという試みは、勉強量に不安を感じていた僕にとっては良いものだったように思えます。
また、朝早くから起きて勉強することには、勉強時間の確保以外にも利点が二つあります。
一つは、
無駄な徹夜勉強をなくすことができます。
受験生の徹夜勉強というイメージが、テレビなどの影響で強いかもしれませんが、
徹夜勉強は記憶の定着が非効率であり、あまりおすすめできません。
むしろ、朝早くから勉強することの方が効率的に思えますし、朝早くから起きていると徹夜する元気もないはずです。
もう一つは、
受験の時間帯に慣れることができます。
センター試験や二次試験は基本的に朝から行われるもので、夜に行われるといったことは聞いたことがありません。また、人間の脳は起きてすぐには働きませんから、朝早くから起きる習慣をつけることで、本番の時間帯では最高のパフォーマンスを発揮することができます。
しかし、朝早く起きることを習慣づけることは容易ではありません。少なくとも二週間ほど続ける必要があるでしょう。
だからこそ、
まとまった時間を確保でき、朝の気温の低い夏休みに、このような習慣をつけることをおすすめします。おかげで受験を終えるまで、僕は毎朝六時に起きることができ、勉強量の確保に成功しました。
この点においては、僕の受験生としての生活は良いものだったように思えます。
しかし、模試を受けた後の勉強においては大きな反省点があります。
それは、復習をするなどといった当たり前のことではありません。模試で良い結果だった場合の慢心です。
僕は初めから京大を目指そうとしていたわけでもなく、京大への執着心も強くはありませんでした。だから、京大模試で十一月までにB判定以上取れなかった場合は、神戸大学を受けると親に宣言していました。
そして迎えた、八月の京大オープン。
自分でもできた感じは全くしなかったのにB判定。周囲の人は喜んでくれて、自分自身も大変喜びました。
しかし、問題はこの後です。
今まで京大の判定が良くなかった僕は、急に満足感を感じたのでしょうか、授業中、自習中に居眠りをするようになりました。そのために、次の京大オープンでは全く歯が立たず、そこで自分の中に油断があったのだと気づきました。
模試で悪い成績をとったときに、がんばろうとするのはごく普通のことですし、模試の一つのメリットとも言えます。しかし、
急に成績が伸びて良い判定をとるようになったときこそ、模試を活かすことができるのか、自分を堕落させるのかの分かれ目であると思います。
僕は十一月に気づくことができたために、そのまま堕落し続けて、不合格という現実に直面せずにすみましたが、このような状態に陥ったまま受験を迎えてしまう人も少なくないと思います。
だからこそ、この受験録を読んだ人は、僕のふり見て我がふりを直して欲しいです。
そうすれば第一志望の大学に合格することが、より確かなものになると思います。
以上の二つのことは、実践するのはたやすいことではないように思えますが、受験において、僕が最も重要であると感じたことです。
少しでも、この良かった点と反省点を活かしてもらえればうれしく思います。
諦めずに努力する意志の強さを身につけることができたのではないかと思います。
神戸大学 工学部
西村 望さん
滋賀県立 膳所高等学校
私が大学受験を意識し始めたのは、高二になるときです。このままではどこの大学にも行けないと、かなりの不安を感じていました。
そのとき、友だちの紹介で東進と出会いました。勉強するという意思をしっかり固めたので、東進と学校と部活の鼎立(ていりつ)はそんなに苦にはなりませんでした。
というよりも、家ではどうしても休憩ばかりしてしまうので、
東進をフル活用することで勉強時間を少しずつ確保し、勉強する習慣を身につけることができました。
そのおかげで三年生になったときに、スムーズに受験勉強を開始することができました。
三年生になって、最後まで部活をやり切った後に、本格的に受験勉強をすることができるようになったのです。
夏休みは合宿にも参加し、朝早くから夜遅くまで自分でスケジュールを管理し、徹底的にやり込んだと思います。それなのに、八月に実施されたセンター試験本番レベル模試では、結果が振るいませんでした。
自分の勉強量に比例しない成績を見て、自分自身の勉強の仕方に疑問を持ち、志望校に合格して、四月から大学生になっている自分を想像できませんでした。
そんなとき、校長、そして担任助手から、
「勉強してもすぐ結果が出るわけじゃないよ。がんばったら結果はついてくるから!」
と叱咤激励され、何とかやる気を取り戻すことができました。
そんなふうに私に接してくれる担任助手は、兄のような存在であり、受験勉強のことだけでなく学校生活のこと、また未来の大学生活についてまで、何でも気軽に相談することができ、
勉学の面はもちろん精神面までも支えてもらったと思います。
私が東進衛星予備校に入って良かったと思う事は、四つあります。
一つ目は、
自分のレベルや志望校に合った授業が用意されていることです。
そして、それを自分でスケジュール管理して、自分に合ったやり方で勉強に活用することで、自分にぴったりの学習スタイルを作ることができました。
二つ目は、
そのような学習スタイルを考えること、実践することをサポートしてくれる校長や担任助手の存在です。
特に担任助手は、自分の受験勉強の経験や、これまで大津石山校に在籍していた卒業生のことなどを話してくれ、そのような話は私の受験勉強に大いに役立ちました。
三つ目は、
友だちの存在です。
幸いなことに、大津石山校には同じ大学を目指す友だちや、私と同じように朝早くから夜遅くまで勉強する友だちがたくさんいました。
がんばっているのは自分一人ではないということ、がんばっているみんなで一緒に合格したいという気持ちが、志望校合格への意志をさらに固めました。
四つ目は、
校舎の開校時間です。
大津石山校は年中無休なので、ゴールデンウィークやお盆、お正月など、世の中が休みムードのときでも、周りに流されることなく、しっかり自分のペースで勉強に励むことができたのだと思います。
受験勉強をがんばったことで、第一志望校に合格できたのはもちろん大きな喜びで、私自身の自信になりました。
私にとって、受験勉強はとてもしんどいものでしたが、しかし、そのしんどさを乗り越えたことで、精神的に少し成長できたのではないかと思います。
受験勉強を通して、
周りの支えてくれる人の大切さを実感し、また諦めずに努力する意志の強さを身につけることができたのではないかと思います。
受験勉強での経験をこれからの大学生活、そして、社会人としての生活にいかしていきたいです。
これから受験勉強に向かっていくみなさん、受験勉強は辛いことが多いかもしれません。成績が伸びず、どんどん周りの人に抜かされ、不安になることも多いと思います。
けれども、みなさんを応援している人や一緒にがんばっている人がいることを忘れずに、そして何よりも、「合格する」という強い気持ちを持って、しっかり自分の意志をつらぬいてください。
応援しています。
本当に自分はこの勉強がしたいのか、その先はどうしたいのか、考えるようになりました。
名古屋市立大学 人文社会学部
宮田 真子さん
彦根東高等学校
私は、第一志望であった名古屋市立大学人文社会学部に合格することができました。自分にとって一番良い結果となりましたが、この合格を勝ち取るのは簡単ではありませんでした。
まず、志望校を決めるまで長い時間がかかりました。
「やりたいこと」
と言われても、ぱっと思いつくものがありませんでした。それに、引退するまでは頭の中は部活のことでいっぱいで、大学のことはいつも後回しになってしまいました。
引退するまでは、家から通えるということと、日本史が好きだということから別の大学を志望校としていました。
しかし、
受験勉強を始めると、本当に自分はこの勉強がしたいのか、その先はどうしたいのかということを考えるようになりました。
やはり、そうやって自分の目標が定まらない状態では、勉強をしていても、志望校のことを考えて一向に身が入りませんでした。
そこで、本当に遅いのですが、十月くらいから私立も含め気になる大学を見に行ったり、インターネットで調べ出しました。そして、将来何をしたいかということについても、自分の中で、
「自分の言葉で人の心を動かせるような人になりたい」
と思うようになりました。
そこで、人の心というものを学ぶ心理学を勉強したいと思い、今の志望校に決めました。
勉強面でも、問題は山積みでした。
まず、一、二年生とほとんど勉強してこなかった自分には、基礎の部分が全くないので問題を解くという段階ではありませんでした。
とにかく基本からやってみようと、学校で使っていた英語の文法書や数学の参考書を出してきてやり始めました。
しかし、勉強をするという習慣さえなかった私は、初めのうちは長時間机の前に座っているだけで苦痛でした。
そうして夏休みの間は、基礎のみで終わってしまいました。夏休み後も、勉強はしていても、あまり模試の成績は上がりませんでした。
このときになって初めて、
いかに自分が今まで貴重な時間を無駄にしてきたかを思い知りました。
しかし、そこで自分が良かったと思うことは、結果が伴わないときでも、結果にあまりこだわらなかったということです。
本当にどの模試でも、合格判定はDやE、時々Cくらいしか出ませんでしたが、その結果にこだわって落ち込む暇があるならとにかく勉強しろ、と自分に言い聞かせていました。
模試はあくまでも通過点であり、目標は第一志望に合格することだということを、これから受験するみなさんには覚えておいてほしいです。
いろいろ考え悩みながらの受験生活も、今は最高の形で終えることができました。
今となって一番思うことは、
努力も怠りも全て自分に返ってくるということです。怠っていた分を取り戻すことはできますが、それはその分だけ大変です。やっぱりコツコツやっていくしかありません。結局、楽をして大学には合格できないのです。
最後に一つ、私が一番効果的だと思った勉強法を紹介します。
それは、
友人とお互いに授業をするということです。
特に、社会は関連させて覚えることが多いので、おすすめです。他人に教えるには、まず自分が理解していなければなりませんし、それを口に出して説明することで、自分の頭も整理することができるのです。
「聞いた内容は一〇パーセントしか頭に残らないが、話した内容は九〇パーセント頭に残る」
と、私の学校の先生もおっしゃっていました。そして友人とやることで楽しく学べると思います。
また、立って授業をするのは予想以上にしんどく、先生の大変さがよく分かるので、きっとこれからはもっとちゃんと授業を聞こうと思うはずです。
受験生のみなさんは、息抜きがてら、ぜひやってみてください。
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