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合格体験記(2011年度)

合格体験記(2011年度)

東進衛星予備校に通い難関有名大学に合格した方々の感動の声をご紹介!

久野 美菜子さん

受験に、必殺技なんてない。地道こそが近道だ!

東京大学 理科二類合格
久野 美菜子さん
神戸女学院高等学部卒
東進 北大路校所属

2011年3月10日、人の波をかき分け、辿りついた掲示板に自分の受験番号を見つけ、念願の東京大学合格が実現したことを知りました。はじめはあまり実感がわきませんでしたが、サークル勧誘の方に、「おめでとう。」と言ってもらい、アメフトの部員の方々に胴上げされているうちに、“合格”が現実味を帯びてきて、喜びで胸がいっぱいになりました。
これから受験を迎えるみなさんが同じように合格の喜びを得られることを願って、入塾してから受験までをふり返ってみようと思います。

東進に入ったきっかけ

東進に入塾したのは、高2の冬でした。
もともと大人数で授業を受けるより、自分のペースで気に入った参考書や問題集で勉強する方が好きだった私にとって、東進の学習環境は最適でした。DVD授業は、自分のペースで自分の学力にあった講座を好きな時に受講でき、聞きとれなかったところやわからなかったところは、巻き戻すことができたり、理解不十分だったり、忘れてしまった回の授業を改めて受講できるので、本当にありがたかったです。
また、北大路校は、毎日夜の10時まで開いており、休日は朝の10時から開いているので、授業のない日も東進が閉まるまで勉強をしていました。夏休み等、長期休暇中は毎日朝10時~夜10時まで東進に入り浸っていました。
こんな風に書くと受験に対し、暗い、辛いといった印象を多くの方が持つと思いますが、実際やってみれば、たいしたことありません。むしろ、東進での毎日は楽しいものでした。
志望する大学は違いますが、大学合格にむけてがんばる友だちがたくさんでき、ごはんを一緒にわいわい食べたり、疲れたらコンビニにおやつを買いに行ったりした毎日は、今ではいい思い出です(笑)。チューターの方々も、いつも気を配ってくださり、相談に乗ってもらったり、他愛のない話で盛り上がったり。精神的な面でも支えていただき非常に心強かったです。

成功のカギ

毎日地道にコツコツ勉強することが、成功のカギだと思います。受験においては必殺技なんてありません。地道が近道です。
とはいえ、毎日毎日同じように勉強していると、飽きてしまったり、嫌気がさしたり、なかなか思い通りにはかどらず、焦ったりすることも多々ありました。そういう時は、気分転換に散歩したり、マンガや雑誌を読んだりしました。
しかし、そんな時に一番大事だと思うのは、 なんとしても志望大学に行きたいと思う気持ちだと思います。
私が志望校を東大に決めたのは高一の時に読んだマンガがきっかけでした。 その頃私は、自分が将来なりたいものや、やりたいことがあいまいで、一つの学部に絞るのをためらっていました。
そんな時、東大には進学振り分け(進振り)という制度があり、1年生のうちは特定の学部に所属せず、文理のわくにとらわれずに教養を学び、2年生の夏に自分の興味に合わせて学部を選べると知り、東大に行きたいと願うようになりました。
それからは東大一本で、すべり止めの私立なども全く考えていませんでした。行きづまった時に東大生の運営するウェブサイトを見たり、東大に関する本を読んだりして、また気を高めていきました。
後輩のみなさんも志望校は早いうちに決めて、目標目指してがんばってください。私は今、二年越しの片思いが実ったような気持ちです(笑)。

後輩へのメッセージ

最後に、後輩のみなさんへむけて。
私が受験を通して強く思ったのは、受験は団体戦だということです。
もちろん、実際に勉強するのは自分自身で、試験を受けるのも自分です。
しかし、周囲の支えてくださった人たちがいたからこそ、継続して勉強してこられたし、合格を勝ち得たと思います。教えてくださった先生や、いい意味で刺激し合い、一丸となって大学合格を目指した仲間、細かいところまで気を配り、励ましてくださったMさんをはじめチューターの方々、そして、いつも側で応援してくれた家族や親戚がいてくれたからこそ、無事合格することができました。この場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
後輩のみなさんも、周囲の人々に支えられていることを心に留め、受験を自分が成長できる絶好のチャンスとして、これからの日々を大事に丁寧に歩んでいってください。

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梅原 由衣さん

好きこそものの上手なれ。私は受験を通して、それを体現した

京都大学 工学部 工業化学科合格
梅原 由衣さん
京都市立 紫野高等学校卒
東進 桂駅西口校所属

私が東進に通い始めたのは、センター試験も近付いた高3の秋、東進主催の全国高校生統一模試を受けたことがきっかけだった。
勉強は苦ではなかったが、点数を取るためだけの勉強は嫌いだった。だから、高1、高2と必要最低限の勉強しかせず、放課後は図書館で気になる本をぱらぱらめくってみたり、学校の先生のご厚意で、実験室を訪問して、教科書の端に載っている実験を見せていただいたりしていた。
私が一番嫌いだったのは、「疑問を疑問のまま終わらせること」である。だから、何か疑問が生まれるたびに図書館にこもり、先生方を質問攻めにする日々を送っていた。私にとっての「勉強」とは、紙上の試験の問題を解くことよりも、自分の好奇心を満たすことだったのだ。
だから、大学の自由さと最先端の研究を行う京都大学に惹かれ、目指すことを決めたのだが、模試の結果は悲惨なものだった。
そして、 私は学校の勉強を聞いて得た、上辺だけの知識では通用しないと思い知らされた。特に物理はひどかった。今まで概念をしっかりと理解しようともせずに、公式の使い方を覚えるだけで終わっていたからだ。
このままではいけないと思い、私は東進に入塾した。高3の秋からという遅すぎるスタートを切った。
そして私は、一から物理を学び直した。残されたわずかな時間を最大限に利用しようと考えた。その結果、 今まで紙上の話だとしか思えなかった物理現象が、以前の私が図書館で出会った美しい写真や、実験室で見た化学反応のように、現実味を帯びてきた。数式で現象が表される美しさを知った。

勉強を“楽しむ”

かのアインシュタインは、自然のあるがままの姿を物理学は開示してくれる学問であると言った。あらゆる事象が数式で形容可能であるがゆえに、「神はサイコロを振ることはない」という言葉を残したのだ。
偶然を排し、森羅万象を必然的な因果律によって証明することに、かの天才は多大なエネルギーを傾注したのだった。 私が今まで「点数を取るため」の勉強だと思っていたものが、私の好奇心と繋がった。
それからは勉強が楽しく思えるようになった。
志望校模試では相変わらず判定欄に、CやDの文字が打ち出されていたが、私には気にならなかった。 勉強を楽しいと思えるようになれたことが、私の受験勉強において得たものであり、それは今後どんな道を歩もうとも、私を支えてくれるひとつの財産となると思ったからだ。

受験を乗り越えるために大切なこと

京都大学への勉強は、生易しいものではなかったと断言できる。元々頭が特別良いわけでも、進学校に通っていたわけでもなかった私には、相当な壁に感じられた。
しかし、 今こうして乗り越えた後から思い返せば、大切だったのは、「当たり前のことを当たり前にやる」ということだと思う。
学校の授業は大切にする。
教えられたことは残さず吸収する。
受験を乗り越えるために必要な基盤は、何事にもある基礎基本だと、私は考える。
上を見ることは大切だが、上を見るだけでは足元をすくわれる。好奇心のままに興味のある分野を調べていくと、必ず基本事項の理解が必要であることを知る。受験勉強をはじめる上で、そのことが私に大きな意味をもたらしてくれた。それと同時に、知らず知らずのうちにそれを実践させてくれていた学校と、東進の授業に感謝している。
「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。私は受験を通して、その言葉を体現した人間だと思う。
嫌々勉強しても得るものは少ない。どうせなら好きになる努力から始めようというのが私のモットーだ。
それを最後まで支え、励ましてくれた友人や学校の先生、東進のチューターの皆さん、そして家族には、心から感謝したいと思う。

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山崎 愛実さん

他の人の3分の1の時間しかないなら、他の人の3倍濃い勉強をする

滋賀医科大学 医学部 医学科合格
山崎 愛実さん
滋賀県立 河瀬高等学校卒
東進 南彦根校所属

私は中高一貫校に通い、六年間を通して吹奏楽部で活動していました。放課後も、休日も、毎日長時間の練習があり、勉強に充てられる時間が限られていたので、自分の予定に合った計画を立てて進めていける、東進への入塾を決めました。また、以前から医師になることを志していたので、一年生の最初に入塾した時には、既に医学部に入ると決めていました。

東進での勉強スタイル

毎日、部活動が終わった後に東進に行くと夜八時頃で、受講し終わると、もう帰る時間でした。それから、家や学校の休み時間に受講に合わせた演習や、学校の宿題、予習復習をするという日々でした。
忙しい日々に体は疲れ、もう家で寝ていたいと思う日は数えきれないくらいありました。しかし、どんな日でもとにかく東進に行くと決め、毎日学校部活動東進という生活を続けました。
2年生になってからは、センター試験本番レベル模試を受けるようになり、2ヵ月ごとに志望校までの距離を思いしらされました。思うように点数が伸びず、模試の結果の返却面談で厳しいことを言われ、何度も悩みました。やるべきことも分かっていて、やりたいという意志も溢れるほどあるのに、それをする時間が十分になくて、やりたいのにできないという、もどかしい気持ちでいっぱいでした。それは部活動をしている時でも一緒で、上級生になるほど部活動の主体となって運営のための仕事が増えて忙しくなり、一方で自分の楽器の技術は伸び悩みました。
こうしていると部活動も勉強も、両方が中途半端になっていってしまうのではないかと思い、だんだん不安になりました。そのことを東進で担任の先生に相談すると、私の場合は量より質を重視したらよい、と言われました。それから、 「他の人の三分の一の時間しかないなら、他の人の三倍濃い勉強、練習をする」という、担任の先生の言葉を大切にしました。
勉強の面では、一度やったことをもう一度やり直さなくてもいいように、受講後の復習や演習、模試の復習を大切にしました。

部活との両立

部活動で私が目標として掲げたのは、夏の最後の大会で関西大会に出場することでした。
しかし、関西大会があるのは八月二十九日です。
関西大会を目指すこと。
関西大会に出場することは、同時に夏休み全てを部活動に費やす、ということを意味していました。
私は医学部に行きたかったので、それを知っていた学校の先生や東進の担任の先生には、本当に続けるのか、覚悟はあるのか、と何度も尋ねられました。確かに、自分の中でも葛藤はありました。
他の部活動の人が、最後の大会を迎える時期よりも後に、吹奏楽部の大会の予選が始まりました。部活動を引退して、勉強に専念し始めた人たちが進学補習を受けているその時に、私は音で補習の邪魔をしないよう気を配りながら、部活動で練習をしていました。
私が練習を終えて疲れ果てて東進に行くと、他の人たちは黙々と勉強をしている最中でした。東進の合宿にも参加できず、同じ日に部活動の強化合宿に参加していました。練習をしている間は、部活動に熱中していたので勉強のことは考えませんでしたが、その後勉強をする時になると、とてつもない不安に襲われることが何度もありました。
他の人が勉強している光景をみるのが本当に辛く、自分の遅れを認めるのが嫌でした。しかし、 今ある時間を最大限に使うため、どんな日も東進には行くようにし、毎日受講をしました。そして、悩んでいても損だと思ったので、自分の不安を抑え、その時一番やりたかった、その時にしかできない部活動を思いっきりすることにしました。
幸い、私は夢を叶えることができ、関西大会への初出場を果たしました。
そして部活動を引退し、 私の次の目標は医学部への合格となりました。その時はもう9月1日でした。私はそれまでの遅れを取り戻し、どんどん他の受験生を追い上げようと思いました。
自分の成績の状況をみながら週間面談で計画を立て、必死に勉強しました。 自分の夢に向かう過程だという意識からか、9月からは勉強を苦痛に思ったことはなかったように思います。

試験と合格発表

 それからどんどん時間は過ぎていき、すぐにセンター試験を迎えました。その後、本格的に個別試験だけの勉強を始め、合格発表の日となりました。
私は朝から滋賀医科大学に見に行きました。恐る恐る掲示板を見ると、そこには自分の番号がありました。
自分の受験番号を受験票で何度も確かめました。本当に合格でした。その気持ちはいつもでも忘れません。
私は、部活動でも勉強でも、目標を達成することができました。 努力が報われて良かった。今まで何事にも、全力で取り組んできて良かったと思いました。
しかし、 私がここまでやって来られたのは、周りの人の支えがあったからこそだと思っています。どんな時も強い味方だった両親、たくさんのアドバイスで合格へと導いてくださった東進の先生、チューターのみなさん。私は非常に恵まれた環境にいました。感謝の気持ちでいっぱいです。

受験を終えて

今、高校生活を振り返ってみると、本当に充実していたと思います。そして、部活動においても、勉強においても、達成感で満ちています。
強く感じることは 、やりたいようにやりたいだけ部活動をしてきて良かったということです。
葛藤が多々あったことは確かですが、それを通して得たものはかなり大きく、私を成長させてくれました。部活動をしていたことで受験勉強が遅れたという後悔は全くありませんでした。
また、 こうして部活動を続けてこられたのは、東進という私に最適のシステムがあったからです。東進に通って正解でした。
大学生になっても、 人に信頼される良い医師になるという夢を叶えるため、日々学び、努力していきたいです。

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原田 千菜実さん

人の役に立つ研究を最前線で…。そこから見えてきた京都大学理学部

京都大学 理学部 理学科合格
平本 綾美さん
京都市立 堀川高等学校卒
東進 京都駅前校所属

「将来の夢は何か」と尋ねられると、私はいつも返答に困る。だが、「将来、どんなひとになりたいか」そう尋ねられたのなら、私ははっきりと、こう答えるだろう。「人の役に立つ人間になりたい」、と。
たとえば大きな災害があったとき、多くの人が自分の無力さを感じる。私も今は、その一人だ。今の自分は無力であり、たいした力など持ってはいないということを思い知らされる出来事はたくさんある。だからこそ私は、誰かの役に立てる自分がいる将来のために、今という時間を使いたい、そう思うようになったのである。
そう考えることで、私の志望校ははっきりと見えてきた。人の役に立つような研究を、最前線でできるところ、京都大学理学部に行こう、そう決心した。
京都大学理学部では、分野横断的な学習のなかでゆるやかな専門化をおこなうことを推進しているため、ゆっくりと自分の適性を知っていくことができる。専門分野を高校卒業の時点で決めてしまうことが、多くの可能性をつぶしてしまうことのように感じていた私にとって、このことは志望校決定の大きな理由となった。

東進での勉強法

こうやって志望校が決まったのは、まだ高校1年生のころだった。はっきりと目標が決まった私は、そのころから割とまじめに勉強していたように思う。といっても、京大が目標だからといって、京大用の勉強などといったものがあるはずもなく、やるべきことといったら、学校や東進での日々の学習を、基礎や基本を大切にしてこつこつやっていくことに違いなかったのだが。
おそらく私が3年生になって、それほど焦って勉強することもなかったのは、(当然、そこには私の性格的な要因もあったのだろうが)やはり、このころの積み重ねがあったからのように思う。もちろん、1、2年生のころは部活もやっていたし、学校行事も全力で参加するタイプだったので、毎日の勉強時間自体はそれほど長くとることはできなかった。
しかし私は、東進の講座で学校の授業の先取りをし、学校の授業時間を上手に使うことで、放課後の勉強時間の少なさを補った。東進の宿題が多くて大変だと思うこともあったし、授業中にとてつもない眠気に襲われることも多々あった。学校の定期テスト前は、どうしても受講ペースが落ちた。しかし、毎週の面談のときに、チューターの方々がちゃんと、学校のことも考慮して、計画的に演習をする手助けをしてくれたので、なんとか思うように演習ができるようになっていった。
このように、さまざまな点で融通がきくという東進最大の強みに、私はとても助けられた。はじめは言われた宿題をなんとか終えるだけの1週間を操り返していた私も、自分で勉強するということがだんだんと身に付き、3年の冬ごろ、東進での講座をすべて見終わった後も、私は自分で決めた演習量を淡々とこなすことができた。やると決めた問題集を毎日淡々とこなすこと、これを続けることは、本当はとても大変なことであり、飽きっぽい性格の私にとっても、かなりつらい毎日だった。しかし、そうした地道な学習の積み重ねこそが、私たちを高みへと連れて行ってくれるのであり、そのことに、ある日振り返ってみたときにふと、気付くことができるのだと私は思っている。

後輩へのメッセージ

 大学受験は、ゴールではない。あくまで通過地点のひとつだ。しかし、その地点を通過する過程で一人ひとりが得られるものは大きい。これを読んだみなさんには、まず、自分なりのしっかりした理由をもって、志望校を決定してほしい。
 そして、ぜひ、大学に入るためだけの勉強ではなく、大学に入ってからも通用するような、あるいは大学で学ぶために必要となるような学習をしていってほしい。そうすることできっと、志望校への道はひらけてくるだろう。

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村上 貴俊さん

具体的な目標を持つことで、より明確に第一志望校に近くなる

京都大学 工学部 物理工学科合格
村上 貴俊さん
洛南高等学校卒
東進 京都駅前校所属

僕はこの春、念願の京都大学に合格することができました。僕の体験が少しでもみなさんの役に立てばと思い、僕の受験勉強を振り返ろうと思います。
僕が東進に入塾したのは高二の春でした。両親が仕事の関係でアメリカに住んでいて、僕は、祖父母の家に居候させてもらっていたのですが、集中して勉強できないと思い、塾に通うことにしました。
東進は、自分の好きな時間に受講できるというところがすごく便利で、部活をしていた僕でも問題なく受講できました。
高2から高3の間は、本当にサボってばかりでした。今から考えると、ほとんど無いに等しいぐらい少ない宿題だったのに、「ノートを忘れた」とか「本当はやっています」とか言って、ひたすら逃げていました。結局大学に受かったから良かったけれど、この頃もっとがんばっていたら、高三の入試直前期にもっと楽に勉強できていたと思います。これを読んでいるみなさんは、 「入試まで、まだまだあるから大丈夫」などと思わず、できるだけのことをしてください。

具体的な目標を持つこと

高3になると、さらに入試への意識が高まっていきました。僕は漠然と「京都大学に行きたい」と思っていて、学部や学科は自分のレベルに合ったところでいいと思っていました。しかし高3になるとさすがにそういうわけにもいかず、将来どんな職業に就きたいか真剣に考えるようになりました。
そこで、ふと身の回りを見てみると、僕たちは様々な「機械」に囲まれて暮らしているのだということに気付き、機械関係の 仕事に携わることこそが、「人々のために生きる」ことの1つなのだと確信しました。
さらに、 「ものづくり」をする仕事だと、自分の成果が形となって残るので、やりがいがあるのではないか、とも思っていたので、京都大学工学部物理工学科を志望しました。それまでは将来のことについて真剣に考えていなかったので、経済学部の理系枠や工学部建築学科を第一志望にしていた時期もありました。しかしその頃と比べて、志望を決めてからは具体的に「あと何点必要」とかが分かり、緊張感を持って勉強できました。具体的な目標を持つことはとても大切なことだと、心から感じました。
部活を引退してからは、ほぼ毎日校舎に通うようになりました。しかし自分以外もスパートをかけてきて、思うように成績は伸びず、夏の模試ではD・E判定のオンパレードでした。秋からはセンター地理も本格的にやり始めたせいか、英語や数学にあまり時間を使えなくなり、秋の模試でもC・D判定ばかりでした。
しかも、さらに僕を迷わせる出来事が起こったのです。
京大模試で、第一志望を工学部物理工学科、第二志望を工学部電気電子学科にしました。すると、物工はC判定で、電電はB判定だったのです。物工は工学部の六学科の中では一番難しく、僕には厳しいかもしれないと思っていましたが、こうもはっきりと結果に出るとは思いませんでした。しかし前に書いたように、 僕は物工に行くという決心をしていたので、志望学科を下げず、物工に願書を出しました。

受験を終えて

センターはまあまあ成功しましたが、京大は二次重視の学校なので、気を抜かず二次の勉強をしました。僕の最大の失敗は、センターが終わってから過去問を買ったということです。数・物・化の過去問25ヵ年を買いましたが、結局半分程度しか終わらず、不安をかかえたまま入試本番を迎えました。過去問を夏ごろに買っておけば全範囲の問題を解ききって、余裕をもって試験を受けられたのではないか、と今でも後悔しています。
最後になりましたが、僕をいつも見守っていてくれた東進のスタッフとチューターのみなさん、そして家族に、心からお礼申し上げます。

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渡辺 正也さん

自分で自身に足りない部分を考え、授業で計画力や自主性を養う

京都大学 法学部合格
渡辺 正也さん
洛南高等学校卒
東進 新田辺校所属

私が東進に入ったのは、夏休みの合宿に参加したことがきっかけでした。
私は中高一貫校に通っていましたが、高2の終わりになるまでは塾に通っていませんでした。そして、高3の夏頃には成績が伸び悩み、どうすればよいのか自分でも分からないままでした。
そんな折に東進の合宿に参加し、その実戦的な姿勢に衝撃を受け、入塾を決意しました。結果としてこれは正解でした。 高3の秋からという非常に遅い時期からでも、自分のペースでカリキュラムをこなす事ができ、実戦的な力を養うことができたからです。
私が、東進という塾に魅力を感じた点は、その独特の受講形態を通じて、自分で自身に足りない部分を考え、授業を受ける事で計画力や自主性が養われるというところです。これは、私が静岡に旅行に行った際に憧れて志した、うなぎパイ職人という夢を成就するにあたって、大きな助けになると確信しています。

試験勉強の方法

私の東進での半年間を、順を追って説明すると、まず、入塾したばかりの九月は学校の体育祭などで忙しく、遅れを取り戻さなければならないのに、模試なども受けることができないような状態でしたが、東進のコーチたちに励ましていただき、とても安心し、また勇気付けられました。
10月から11月にかけて急ピッチで授業を消化し、不安な部分は繰り返し授業のDVDを見ることで対処しました。
この頃には、目標を京大に定めていました。理由は、自分が通える範囲で最もレベルの高い大学に行くことが、必ず自分にとってプラスになると考えたからです。
京大は問題の形式が独特だったので、過去問演習の講座を勧められて始めました。正直、これのおかげで受かったと言っても過言ではないと思います。丁寧に採点をしていただく事で、自分の弱点や理想的な解答の作り方を知る事ができ、自分なりの時間配分を確立することもできました。

試験と合格発表

やがて、そうこうしている内にセンター試験を迎えました。
私は不安もありましたが、東進のセンター型模試を何度か受けたことで、本番でも普段通りの力を出す事ができたと思います。
センター試験が終わってからの1ヵ月は、ひたすら過去問演習講座、また、京大の英語・数学25ヵ年を解きました。
本番では、意外に落ち着いて試験に臨むことができ、恐らく、自分の力を出し切ることができました。英語のできに不安はあったものの、自分を信じて発表を待つしかない、と思っていました。
発表では、正直喜んだというよりも、ほっとしたという感じでした。ただ、受験が終わったと思うと、自分を支えてくれた家族や友人に対して、感謝の念が湧いてきたのが印象的でした。

後輩へのアドバイス

私の受験の様子はこのような感じでしたが、後輩の方々に対するアドバイスがいくつかあります。
まず、志望校のレベルは高ければ高いほど良いと思います。また、 志望校が決定したら、東進でその学校の対策授業を受ける事も重要だと思います。志望校別の対策をせずに試験に臨むということは、ルールを知らずにゲームをするようなものです。高い効果は期待できないでしょう。
また、受験勉強に関して言えば、過去問に勝るものは無いと断言できます。25ヵ年は英語と数学は少なくとも一周はすべきですし、前にも述べたように、東進の過去問演習は何よりも役に立ちます。
また、良く言われることですが、一つの参考書を何度も繰り返して、完成度を高めることが重要です。私は、入試数日前に新しい参考書に手を出して、酷い目にあいました。
あれこれと書き連ねましたが、結局のところ、 強い意志と高い目的意識が重要だと思います。そして、それは東進に通うことで身に付けることができるのです。
自分が合格できたのは、もちろん東進のコーチの方たちの手厚いサポートのおかげであり、この作文を書くことで、自分の感謝の気持ちの表れとしたいと思います。

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大野 将希さん

高い目標を持つことと、絶対にあきらめないことが大事

大阪大学 基礎工学部 電子物理科学科合格
大野 将希さん
滋賀県立 彦根東高等学校卒
東進 南彦根校所属

私が本気で受験勉強に取り組み始めたのは、8月でした。
私の所属していた部活は、平日の帰宅時間は夜の九時前で、休日はテスト期間を除いてほぼ毎日練習試合という、非常に大変な部活でした。部活をしていたころは、毎日の勉強は、授業の予習と宿題のみで、それさえできない日がとても多かったです。
部活が終わり、夏休みの中盤に全国統一模試がありました。その模試の合格判定はE判定。この時、私はこのままでは確実に合格は不可能であると痛感しました。
模試の後、自分の現状を見つめ直し、今までの遅れを取り戻すために一層勉強に身を入れることができました。

東進で苦手教科を克服

この頃の私の苦手教科は物理と英語でした。物理は、意味自体が分からないままの公式の丸暗記、英語は長文を全く読むことができず、また何も対策をしようともしませんでした。
この現状を打開するために、私は校長先生と面談をし、物理は「スタンダード物理」を受講し、英語はコーチの指導のもとで、計画的に勉強することに決めました。また、この他にも「スタンダード化学」や「受験数学」などを受講しました。
物理の講師は、物理の本質をとても分かりやすく、かつ面白く教えてくださりました。そのため、 毎回の受講が楽しみになり、また物理という教科を好きになり、物理の本質を理解することができました。そしていつの間にか、物理が得意教科となりました。
他の講師も非常に面白く、全く飽きない授業を展開していただきました。そのおかげで、阪大オープンではB判定をとる事ができ、自信がつきました。

センター試験での失敗

そして、1月16日、とうとうセンター試験がやってきました。私の第一志望の学科は、地理と国語の配点が大きい学科でした。日頃からしっかりと対策していた地理は、過去最高点を大きく上回る点数をとる事ができました。
しかし、国語は今までに見た事のないような、ひどい点数をとってしまいました。よって、センター試験リサーチの結果はE判定となりましたが、志望を変えずに出願しました。
しかし、E判定という非常に厳しい状況であったので、二次試験までの40日間、必死に勉強しました。具体的には、理系科目は応用力まで高めるための膨大な量の演習をし、苦手な英語は基礎からしっかり固め、時間に限りがある中でも実戦力も習得して二次試験に臨みました。
そしてついに、二次試験の日がやって来ました。

二次試験と合格発表

最初の科目は数学でした。あまり得意な教科ではありませんでしたが、たくさんの問題量をこなしていたため、合格点を超える点数をとれた手応えがありました。二科目は英語でした。以前から苦手だった長文があまり理解できず困惑しましたが、部分点を少しでももぎとろうとして、とりあえず全て埋めてみると、案外いい答案を作ることができました。最後の教科は理科でした。物理と化学は、二次対策のおかげで、ほとんどの問題をスムーズに解答することができました。全体を通して見て大きなミスもなく、悔いの残らないように解答することができました。
そして、約10日後、合格発表がありました。自分の受験番号を見つけた時は、言葉にできないほどの喜び、そして充実感がありました。本当に受験勉強をがんばってきてよかった、と思いました。
この時、大学受験は無事に終えることはできましたが、 私の夢を叶えるためには、受験勉強以上の努力が必要となると思います。だから大学でも、今まで以上に一生懸命勉強していくと決意しています。

後輩へのアドバイス

私は、これから大学受験を迎える後輩たちに伝えたい事があります。
それは、高い目標をもつ事と、絶対に最後まで諦めないことです。高い目標を持ち、それに向かっていく事で自分自身の可能性を最大限に引き出す事ができます。低い目標を立ててしまうと、その目標を達成する事で満足してしまい、才能を最大限に発揮する事ができません。
また、諦めない事も大切だと思います。センター試験の配点と二次試験の配点の比率にもよりますが、たとえセンターリサーチがE判定でも、合格する人はたくさんいます。そのような人は稀にしかいない、と思う人がいるかもしれませんが、実際には結構います。だから、自分の目標を貫き通してほしいので、後悔しないように志望校を検討してください。 後悔をしない事が、私は一番大切な事だと思います。
最後になりましたが、東進の講師や校長先生、コーチの方には、さまざまな面でお世話になりました。ありがとうございました。

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金本 幹矢さん

大切なことは、勉強をし続けること そして、東進に来続けること

阪大学 外国語学部 外国語学科合格
金本 幹矢さん
京都市立 紫野高等学校卒
東進 北大路校所属

僕は、高一の三学期に東進に入塾しました。高校に入ってすぐの模試では、クラスでトップを取るほどの学力だったのですが、そこから右肩下がりに成績が下がり、下から数えた方が早いくらいにまで落ちました。
そこでこのままではいけないと思い、入塾を決意しました。決意をしたものの、大学で具体的に何がしたいか分からず、勉強に熱を入れることができませんでした。

受験勉強の転機

そんな時、僕に大きな転機が訪れました。
オーストラリアへの研修旅行です。僕は3週間ほどのステイ中、現地の人々と触れ合い、外国語を話すことの楽しさや、外国人と話すことの奥深さを感じることができました。
帰国してすぐ、外国語を大学で学ぶことを決意しました。英語だけでなく、その他の言語も話せるようになりたいと思い、まず最初にスペイン語学科を選びました。
2年生になると遊びに夢中になってしまい、さらに成績が下がっていきました。授業はほとんど聞かず、定期テストや模試でさんざんな点を取りました。
そんな僕が、唯一まじめに聞いていた授業が中国語の授業でした。言語に興味を持っていた僕は、中国人が教えてくれるその授業だけには面白みを感じ、もっと話せるようになりたいと思いました。振り返ってみると、自分の中に「外国語」=「欧米語」というイメージがあったような気がします。
しかし考えてみると、中国や韓国などのアジアの国々も、日本とはまるで異なる言語を持つ文化集団であるのです。それを感じた時、アルファベットを全く用いない漢字だけの言葉を学ぼうと思いました。また、中国の人は性格が悪くて卑劣な人種であるというイメージも持っていたけれど、その先生の優しさに触れ、偏見を持っていた自分を悔い、もっと中国人を知ろうと思いました。これらの理由により、自分の進路を、スペイン語専攻から中国語専攻に変更しました。
春休みになると、僕はようやく東進に毎日通うようになりました。部活や遊びなどでとても忙しかったけれど、時間がある時は、いつでも東進に来て勉強しました。友だちも何人かでき、少しずつ来るのが楽しみになりました。
五月に部活を引退した後は、毎日東進に通い、二次試験の前日までほとんど休みませんでした。夏休みには、1日10時間以上は絶対東進にいました。 僕の場合は効率よく勉強できたわけでもなく、集中力が人一倍あったわけでもなく、ただ東進に来つづけたことだけが合格の要因でした。

苦しさを乗り越えるために大切なこと

受験期に一番苦しんだことは、成績がほとんど上がらなかったことです。僕は10月までE判定しか出ませんでした。正直半分諦めていたけれど、それでも過去問演習を続けました。だから11月の阪大模試では、C判定を出すことができました。そこでやっと少し、「行けるかも」と思えるようになりました。
しかし12月になって、センター試験の勉強を始めると新たな壁にぶつかりました。二次試験で必要のない教科の点数がかなり落ちていて、勉強しても全然伸びなかったのです。僕の受験する学部はセンターの比率が極端に小さかったので、それまで副教科に手をつけていませんでした。特に理科はほとんど一からのスタートでした。
12月のセンター模試では得意だった英語の点数もひどく落ちてしまいました。それでも諦めずやり続けると、本番で70点くらい伸ばすことができました。 やはり、一番大切なことは勉強し続けることだと思います。成績が上がらなくても、自分に自信が持てない時でも、投げ出さず最後までがんばれば結果はついてくると思います。

受験を終えて

僕は受験を通して、自分を支え、応援してくれる人のありがたみをしみじみと感じました。家族・友だち・東進のスタッフ・高校の先生など一人ひとりが僕の背中を押してくれました。一人でも欠けていると、確実に合格できなかったと思います。これから自分がお世話になった方に何か恩返しをしていきたいと思います。
大学生活、またその後の人生も、自分が頼りにされるような人になるように努力します。
今まで本当にありがとうございました。

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行岡 綾子さん

もうやるしかない。見せたれ、根性! 最後の最後まで諦めるな

大阪大学 外国語学部 外国語学科合格
行岡 綾子さん
大阪府立 千里高等学校卒
東進 京阪くずは駅校所属

高校1年・2年ともクラブ活動や学校行事にうちこみ、自宅学習は全くといっていいほどしていなかった。学校のテストも、得意の英語以外は人並み、または欠点の狭間で、とにかく良いと言える成績はあまりとったことがなかった。ただなんとなく志望校は決めていたため、高校3年生に入っても、勉強に真剣に取り組むことができなかった。
そんな私を奮いたたせてくれたのが家族との話し合いで、私は東進へ入塾し、まず毎日塾へ通うことを決めた。

勉強の不安

毎日通うことで勉強のリズムをつくり、だんだん環境に慣れていくことができた。苦手な数学を中心に、受講と演習を繰り返し行い、なんとかやりこなした。
定期的にある模試。結果は不安定で、浮き沈みが激しかった。次第に打たれ強くなっていく自分がいたが、さすがに、センター試験本番レベル模試の成績の悪さにはとても焦った。周りがどんどん伸びていく中、不安がつのるばかり。いらいらして人にあたり、クラスメイトにも迷惑をかけてしまった。

もうやるしかない

センター試験前日。昨年度の問題を解いていて、全然わからなくなり、パニックになって大泣き。もう明日。受けたくない、行きたくないと母に泣きついた。
「じゃあ、いかんとき。」
そんな母の意外な言葉で私は我にかえって、もうやるしかない。見せたれ根性、と前向きに立ち直ることができた。当日の出来は案の定よくはなかったが、それでも最後の最後まであきらめなかった。得意の英語は満点をとる勢いでがんばった。
本命の大学に向けての勉強に対する姿勢は、センター前のとはかなり違っていた。なによりも、 自分の勉強スタイルを確立することが一番大きかったと思う。
私の場合、ひたすら書くことによって膨大な量の世界史を記憶するスピードが速くなり、その全体像が徐々に見えてくるようになった。
そうして本番を迎えた。世界史には手応えがあったが、得意の英語がうまくいかなくて、投げ出したくなった。でも 最後まであきらめるなという言葉を思い出して、最後の教科の試験もやりきった。
終わった瞬間、合否関係なく、ここまでがんばってきた自分を誉めてあげたくなった。1・2年のときの自分からは想像もつかないくらい、初めてこんなに真剣に勉強した。

合格発表

合格発表。自分の番号を見つけたとき信じられなくて、何度も画面を見直した。隣にすわっていた姉も絶対に見間違いだと言って、画面を覗きこんだ。でも、そこにあったのは間違いなく私の受験番号で、2人で叫んで泣いた。
両親に即座に連絡し、お世話になった学校の先生にも報告。その後はずっとふわふわした気持ちで、実感がわかないままであったが、なんだかニヤニヤがとまらなかった。
模試の判定はずっとE。思うように伸びない成績。でも、 第一志望校は何が何でも突き通すと心に決めていた。
最後まであきらめずに突っ走ること。
自分を信じること。
そして、遠慮せずに周りにいる家族、友だち、先生をたよること。一人ぼっちで戦えるひとなんていない。受験を通じて、改めていかに自分が周りの人々に支えられているのかということをつよく感じた。

受験を終えて

私には具体的な将来の夢はない。これからの大学生活でさがしていこうと思う。どんな夢にしろ、最終的な私のゴールは何か人の役に立つことのできるような職につくこと。あとは凄く基本的なことではあるが、周りに気配りのできる優しい人になりたい。
そして英語力を活かしてグローバルに活躍したい。
今度は、人を助ける側の人間に。
その第一歩として、まず支えてくれた家族に感謝し、これから新たにがんばっていきたいと思う。

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山崎 愛実さん

他の人の3分の1の時間しかないなら、他の人の3倍濃い勉強をする

滋賀医科大学 医学部 医学科合格
山崎 愛実さん
滋賀県立 河瀬高等学校卒
東進 南彦根校所属

私は中高一貫校に通い、六年間を通して吹奏楽部で活動していました。放課後も、休日も、毎日長時間の練習があり、勉強に充てられる時間が限られていたので、自分の予定に合った計画を立てて進めていける、東進への入塾を決めました。また、以前から医師になることを志していたので、一年生の最初に入塾した時には、既に医学部に入ると決めていました。

東進での勉強スタイル

毎日、部活動が終わった後に東進に行くと夜八時頃で、受講し終わると、もう帰る時間でした。それから、家や学校の休み時間に受講に合わせた演習や、学校の宿題、予習復習をするという日々でした。
忙しい日々に体は疲れ、もう家で寝ていたいと思う日は数えきれないくらいありました。しかし、どんな日でもとにかく東進に行くと決め、毎日学校部活動東進という生活を続けました。
2年生になってからは、センター試験本番レベル模試を受けるようになり、2ヵ月ごとに志望校までの距離を思いしらされました。思うように点数が伸びず、模試の結果の返却面談で厳しいことを言われ、何度も悩みました。やるべきことも分かっていて、やりたいという意志も溢れるほどあるのに、それをする時間が十分になくて、やりたいのにできないという、もどかしい気持ちでいっぱいでした。それは部活動をしている時でも一緒で、上級生になるほど部活動の主体となって運営のための仕事が増えて忙しくなり、一方で自分の楽器の技術は伸び悩みました。
こうしていると部活動も勉強も、両方が中途半端になっていってしまうのではないかと思い、だんだん不安になりました。そのことを東進で担任の先生に相談すると、私の場合は量より質を重視したらよい、と言われました。それから、 「他の人の三分の一の時間しかないなら、他の人の三倍濃い勉強、練習をする」という、担任の先生の言葉を大切にしました。
勉強の面では、一度やったことをもう一度やり直さなくてもいいように、受講後の復習や演習、模試の復習を大切にしました。

部活との両立

部活動で私が目標として掲げたのは、夏の最後の大会で関西大会に出場することでした。
しかし、関西大会があるのは八月二十九日です。
関西大会を目指すこと。
関西大会に出場することは、同時に夏休み全てを部活動に費やす、ということを意味していました。
私は医学部に行きたかったので、それを知っていた学校の先生や東進の担任の先生には、本当に続けるのか、覚悟はあるのか、と何度も尋ねられました。確かに、自分の中でも葛藤はありました。
他の部活動の人が、最後の大会を迎える時期よりも後に、吹奏楽部の大会の予選が始まりました。部活動を引退して、勉強に専念し始めた人たちが進学補習を受けているその時に、私は音で補習の邪魔をしないよう気を配りながら、部活動で練習をしていました。
私が練習を終えて疲れ果てて東進に行くと、他の人たちは黙々と勉強をしている最中でした。東進の合宿にも参加できず、同じ日に部活動の強化合宿に参加していました。練習をしている間は、部活動に熱中していたので勉強のことは考えませんでしたが、その後勉強をする時になると、とてつもない不安に襲われることが何度もありました。
他の人が勉強している光景をみるのが本当に辛く、自分の遅れを認めるのが嫌でした。しかし、 今ある時間を最大限に使うため、どんな日も東進には行くようにし、毎日受講をしました。そして、悩んでいても損だと思ったので、自分の不安を抑え、その時一番やりたかった、その時にしかできない部活動を思いっきりすることにしました。
幸い、私は夢を叶えることができ、関西大会への初出場を果たしました。
そして部活動を引退し、 私の次の目標は医学部への合格となりました。その時はもう9月1日でした。私はそれまでの遅れを取り戻し、どんどん他の受験生を追い上げようと思いました。
自分の成績の状況をみながら週間面談で計画を立て、必死に勉強しました。 自分の夢に向かう過程だという意識からか、9月からは勉強を苦痛に思ったことはなかったように思います。

試験と合格発表

 それからどんどん時間は過ぎていき、すぐにセンター試験を迎えました。その後、本格的に個別試験だけの勉強を始め、合格発表の日となりました。
私は朝から滋賀医科大学に見に行きました。恐る恐る掲示板を見ると、そこには自分の番号がありました。
自分の受験番号を受験票で何度も確かめました。本当に合格でした。その気持ちはいつもでも忘れません。
私は、部活動でも勉強でも、目標を達成することができました。 努力が報われて良かった。今まで何事にも、全力で取り組んできて良かったと思いました。
しかし、 私がここまでやって来られたのは、周りの人の支えがあったからこそだと思っています。どんな時も強い味方だった両親、たくさんのアドバイスで合格へと導いてくださった東進の先生、チューターのみなさん。私は非常に恵まれた環境にいました。感謝の気持ちでいっぱいです。

受験を終えて

今、高校生活を振り返ってみると、本当に充実していたと思います。そして、部活動においても、勉強においても、達成感で満ちています。
強く感じることは 、やりたいようにやりたいだけ部活動をしてきて良かったということです。
葛藤が多々あったことは確かですが、それを通して得たものはかなり大きく、私を成長させてくれました。部活動をしていたことで受験勉強が遅れたという後悔は全くありませんでした。
また、 こうして部活動を続けてこられたのは、東進という私に最適のシステムがあったからです。東進に通って正解でした。
大学生になっても、 人に信頼される良い医師になるという夢を叶えるため、日々学び、努力していきたいです。

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