滋賀大学教育学部附属中学校 | ぼくの合格への道筋【中学受験-合格体験記】|成基学園-受験指導と志共有の学習塾

滋賀大学教育学部附属中学校
合格-2016年度

Y・Kさん

ぼくの合格への道筋

ぼくの将来の夢は、病気で苦しんでいる人を助けてあげられる小児科の医者になることです。なぜこの夢を抱いたかというと、くわしいことはほとんど覚えていませんが、確か二歳か三歳ぐらいのとき、ぼくは肺炎になり入院しました。高いときには、四十二度ぐらいの熱が出て、とても危険な状態でした。

そんなとき、名前も顔も覚えていませんが、ある先生がぼくの病気を治してくれました。それからぼくは、あの苦しみから解放してくれた先生にあこがれて、この夢を持つようになりました。その夢に向かう第一歩として、中学受験を考えました。

四年生の秋、母がある塾に行くということで、ぼくもついていきました。ぼくはずっと本を読んでいました。母はその塾の先生と話していました。ぼくは、その会話を何となく聞いてはいましたが、右から左へ聞き流していました。

冬に入ってから母と友だちのMくんといっしょに、成基学園の〈冬期講習会〉に行きました。これが、成基学園との出会いでした。まず感じた成基学園の印象は、生き生きしていて明るいものでした。なぜかというと、暗い顔をしている人がいなかったからです。〈冬期講習会〉の最終日テストで九十点ぐらいの高得点がとれて、しかも〈冬スタ〉という楽しい行事があって、この塾に入りたいと強く思いました。

実際に入塾してから一年間は、受験のことは気にせずに、楽しく勉強を続けていきました。六年生になって、改めてどの中学校を受験しようかと考えて、その結果、滋賀大学教育学部附属中学校を受験しようと思いました。

六年生になってから、県内受験クラスに入り、合格を目指して勉強していく日々が始まりました。このときは、受験をそんなに意識していませんでした。秋ごろになると、大好きで一年生からやっていたサッカーを休部して、受験勉強に専念しました。

ところが授業のなかで入試問題を解いていくと、思ったように点数がとれず、とても悲しく、また自分のことを情けなく思いました。テストでも思うように点数がとれず、イライラしていました。そのイライラから、母とケンカをする回数が増えました。今思うと、大変申しわけなかったなと深く思い、それと同時に深く反省しています。

それから、テストや入試問題で間違えたところを何回も復習して、少しずつ、少しずつテストや入試問題の点数を上げていきました。

そして、入試直前の〈冬期講習会〉のテストでも点数がとれるようになっていき、自信がついてきました。

受験直前、A先生と母とぼくとで改めて三者面談をして、ターゲットを滋賀大附中にしぼり、気を引きしめ直しました。それをきっかけに、母とのケンカもほぼなくなり、ぼく自身も、気を落ち着かせて勉強をすることができました。そのころには、過去の入試問題でも合格点がとれるようになり、ますます自信につなげていくことができました。

そして、むかえた入試当日の朝。

ぼくは緊張感なんて、一切感じていませんでした。そのあとも、ふつうに電車に乗り、入試会場が近づけば近づくほど、ドキドキした気持ちが心からわいてきました。八割ぐらいの自信はありましたが、不安ももちろんありました。でも、入試会場で成基学園の先生たちと会って、力を出しきって悔いの残らない受験にしようと決心して、入試会場の門をくぐりました。

でも、入試が終わってからぼくの心は、とてつもない不安でいっぱいでした。過去の入試問題と全然違うし、書けない問題もいっぱいありました。時間も足りなかったし、何より難しすぎました。面接は緊張しすぎて、手がふるえるほどでした。思っていた言葉が出ず、大変ショックでした。家に帰るとA先生から電話がかかってきて、面接は人間性を見るもので、よほど変な答えを出さなかったら大丈夫、と言ってくださったので、安心しました。

合格発表の日、入試の日と違い、とても緊張していたぼくは、見に行きたくない気持ちが出てきました。不安で心がいっぱいになりましたが、発表された紙を見て、その不安はすべてよろこびに変わっていました。とてもうれしく、すがすがしい気持ちでした。

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