滋賀県立八日市高等学校
(普通科)
合格-2018年度
母親の不安や悩みに寄り添い、元気づけてあげられるような助産師になることです。
この志を立てるきっかけとなったことは、テレビで助産師について放送されたものを見たことです。この番組を見るまでは将来の夢がありませんでした。
しかし、出産時に汗だくになりながら赤ちゃんを産む母親の手助けを、一緒に汗だくになって支える助産師さんを見たとき、この職業につきたい、こんなすばらしい現場に携わりたい、と私は強く思いました。
小さな改革
私は中一の春、成基学園に入塾しました。最初はとても緊張していましたが、仲の良い友だちもいて、雰囲気が和やかだったため、すぐに慣れることができました。
中一のときは、正直、受験について何も考えていませんでした。テストの点数が悪くてもあまり気にせず、過ごしていました。
しかし、学年が上がり、中二になった途端、塾でも学校でも「受験」という言葉をたびたび耳にするようになりました。模試では、第一志望校を記入しなければならなくなり、家では母に、そろそろ受験する高校を考えるように、と言われるようになりました。それらの影響か、心の中では受験に対して少し焦りの気持ちが出てきました。
さらに、成基学園の模試の結果を見たとき、私は本当に危機的状況に立たされている、と思いました。なぜなら、第一志望校に書いた学校の判定が、なんと、E判定だったのです。学校でのランキングでは上位を保てていたにもかかわらず、塾ではあまり成績がふるわず、余計に焦りを感じました。
しかし、一方で、まだ一年も受験は先で、友だちもきっと何も勉強を始めていないし、もう少し経ってから勉強を始めればいいや、と思う気持ちもありました。
けれども、このままではやはりいけないと思い、私は、どのようにしたらよいか考え、いきなりたくさん勉強するのではなく、少しだけ、今までと勉強方法を変えてみようと決めました。そこで私は、中一のときよりも出された宿題の質をレベルアップさせてみようと思い、今までよりも宿題に費やす時間を増やしてみました。もしかすると、あまり意味がないことだったのかもしれません。しかし、私にとっては、それまでよりも受験に向かって進み始めている、という小さな自信にもなりました。
そしていよいよ中三、受験の年になりました。中三の模試の判定は、中二のときのE判定から、C、Bまで上がってきていました。これはあのとき、宿題を丁寧にするようにしていたからかもしれない、と、少しうれしくなりました。
もう一つ、判定が上がると同時にうれしくなったことがありました。それは、中一のときは数学が最も苦手だったのにもかかわらず、中二、中三と勉強しているうちにどんどん偏差値が上がったということです。これは、成基学園で三年間数学を担当してくださったS先生のおかげだと、私は思っています。眠たい状態で授業に臨んでしまったときは、S先生の大きな声で目を覚ますことができ、解説もわかりやすいので集中することができました。そして、何より、自習室で勉強していてわからない問題を聞きに行ったときは、いつでも教えてくださいました。S先生がいたからこそ私の数学の成績が伸びたのだと思います。
もちろん、思うように伸びなくて何度もくじけそうになったこともあります。そんなときは、次、もう一回がんばってみよう、と自分を励ますことにしていました。
その後はすぐに時間が過ぎ、いよいよラストスパートの冬休みに入りました。学校では、放課後に友だちとわからないところを教え合い、先生に質問しに行くなどしていました。そして、できるだけ、成基学園に通い、自習室を利用しました。
〈冬期講習会〉の後は、自習室終了時間までいるようにして、勉強の時間をとるようにしていました。自宅でも、勉強に専念するため、スマホのアプリを消したり、ドラマを見ないようにしたり、自分でできることはやり尽くしました。そんな生活をしていると、常に頭の中には「受験」という大きな重いものがありました。そのプレッシャーが一番辛くて苦しかったです。
このような日々をなんとか乗り越え、いよいよ入試当日になりました。私はできるだけ緊張せず、リラックスして臨めるように何度も深呼吸をして落ち着かせました。試験後は解放感も少しはありましたが、やはり合格しているかどうかの不安の方が大きかったです。
そして、合格発表の日、合格通知をもらったときは、本当に信じられなくて声も出ませんでした。じわじわとうれしさが大きくなり、早く家族に伝えて安心させてあげたい、と一番に思いました。それとともに、感謝の気持ちもあふれてきました。そして、家に帰ってすぐに「ありがとう」と伝えました。すると両親は泣いて喜んでくれました。
最後まで私を支え、励ましてくれた先生方、友だち、家族に、心から感謝しています。本当にありがとうございました。