大阪府立豊中高等学校
(文理学科)
合格-2016年度
大切な人々の幸せは私の幸せ
私はまだ、将来の夢が決まっていません。ただ漠然とした目標として、「世界中の人々を幸せにできる職に就く」と決めています。そう考えるようになったのは、中学校生活三年間を、多くの人々に支えられて過ごしたからです。
例えば、部活動などがあります。二年生のときに部長になった私は、大きなプレッシャーを背負って日々押し潰されそうになり、ミスも多くなりました。そんなときに、他の部員が、「私たちにも頼ってや。」「あなたは一人じゃないよ。」などと声を掛けてくれ、私が失敗してもフォローしてくれました。そのとき、私はこんなにも多くの人々に支えられ、幸せだなと思いました。それと同時に、今度は私が幸せにして恩返しをしたいと考えるようになりました。
そのために、これからは整った環境で勉強して知識を増やし、なりたい職業が見つかったときに、勉強不足でなれないということがないように、がんばっていきたいと思いました。
私が具体的に進学する学校を考えだしたのは、夏休みに入ってからでした。部活を大阪府立
豊中高等学校と合同で練習することが何度かあり、そのときの雰囲気にまず惹かれました。そこで、学校の雰囲気を知るために、文化祭へ行きました。在校生のみなさんが楽しそうに笑っていて、クラスだけでなく、学校が一つになり過ごしている姿を見て、「私もこの学校の一員になりたい。きっと充実した三年間を送ることができる」と感じました。
夏休みになり部活を引退した私は、成基の〈夏期講習会〉や〈夏期合宿(合宿)〉などに積極的に参加しました。特に〈合宿〉では、同じくらいの学力の人が各教室から集まり、今の自分の実力をつきつけられました。それぞれが高い目標を持ち、黙々と勉強する姿に焦りながらも、良い刺激を受けました。しかし、もともと勉強する習慣がない上に、数ヵ月先の受験に未だ実感がなかった私は、夏休み中も宿題と見直しという必要最低限のことしかやらず、過ごしてしまいました。今となっては、「夏を制する者は受験を制す」という言葉を身に染みて感じています。
二学期になり、〈大阪入試突破ゼミ〉が始まりました。この講座では、順位と偏差値が出されました。異常なくらい負けず嫌いな私は、自分の名前の上に誰かの名前が載るなんて、許せませんでした。常に一位をキープすることはできませんでしたが、「誰かに負けるなんて嫌」ということを原動力にがんばりました。ほとんどの講座が高槻教室で行われ、片道一時間弱かけて通うのは大変でしたが、普段と違う仲間と切磋琢磨しながら勉強することができました。
三学期に入り、併願校としていた私立高校にも無事合格し、残すは公立高校のみとしていた学校での最後の三者面談。それまでの面談は全て、「このまま、実力を出せば大丈夫。」と言われていたので、今回もそのような感じだろうと思っていました。
しかし、先生からつきつけられた現実は、そんな甘いものではありませんでした。
学校の第四回
実力テストで大きく点数を下げてしまっていた私は、「この点数だと豊中高校は難しい。一つレベルを下げると合格できると思うが、変えないのであれば厳しい。」と言われてしまいました。凄くショックでした。家に帰って家族と話し合い、成基の先生にも相談しました。すると、「たった一回のテストで左右されることはない。あなたは、本当はどうしたいの。」とおっしゃってくれました。その言葉がきっかけで、「どうしてもこの学校に行きたい。あの制服を着たい。あのグラウンドで仲間と走り、あの校舎で共に勉強したい」と強く思うようになりました。
そこからは迷うことなく願書に、「大阪府立 豊中高等学校」と書きました。私だってやればできるということを証明したくて、今まで以上に猛勉強しました。
結果は合格。勉強してきた時間が、塾に通ったことが、実になって私の元に返ってきた瞬間でした。
私が合格できたという結果は、自分自身だけではなく、支えてくれた人々をも幸せにすることができたと思っています。
これから受験を迎える全ての受験生のみなさん、勉強した量に比例して結果がついてくるとは限らない、と私は思います。しかし、努力した時間は決して無駄にはなりません。
あの学校に行きたいという強い気持ちと自信を持って、志望校合格に向けて、しっかりと目標を定めて努力をし、がんばってください。